山口県立下関西高等学校
山口県立下関西高等学校(やまぐちけんりつ しものせきにしこうとうがっこう 英語: Yamaguchi Prefectural Shimonoseki West High School)は、
山口県下関市に所在する公立高等学校。略称は、下関市内では「西高」(にしこう)、市外では「下西」(しもにし)。概要
- 歴史
1920年(大正9年)創立の旧制中学校「下関中学校」を前身とする。1948年(昭和23年)の学制改革により新制高等学校となった。2015年(平成27年)に創立95周年を迎えた。
- 設置課程・学科
- 全日制課程 2学科
普通科
理数科 - 探究科
定時制課程(夜間) 1学科
- 普通科(2019年に定時制専門高校の山口県立下関双葉高等学校に統合され、廃止される予定)
- 定時制課程の修業年限は4年であるが、山口県立山口高等学校の通信制課程を併修する(合わせて学ぶ)ことにより3年での卒業が可能である。
- 山口県立山口高等学校 通信制課程の協力校となっており、月2回のスクーリングの会場となっている。
- 校地
校地は下関市内の高校が集中する東駅(駅名ではなく地名)にあり、「旭が陵」(あさひがおか)と呼ばれる高台に校舎が建つ。そのことにちなみ、文化祭は旭陵祭(きょくりょうさい)、同窓会組織は旭陵同窓会と称する。
- 校訓・校是
「天下第一関」を創立当初(旧制中学時代)より校是とする。この語は、万里の長城の最東端にある山海関に掲げてある扁額に由来。また、校訓は「自主・自律」。
- 校章
「高」を形どったシンプルなデザインである。また、「高」の字の下の口の部分のカーブが笑った顔を表している。
- 校歌
1962年(昭和37年)に制定。作詞は五味智英、作曲は平井康三郎による。歌詞は3番まであり、各番に校名の「西高」が登場する。1番の歌詞は県外の山(福岡県北九州市門司区にある「風師山」(かざしやま))で始まるユニークなものとなっている。また3番の最後に校是の「天下第一関」が登場。
- 校則・校風
校則の内容は普通のもので、比較的自由な校風である。
- 通学(全日制課程)
自転車通学が認められているが、駐輪場のスペースの関係から学校より3km以遠に住む生徒に制限されている。
- 制服(全日制課程)
男子が校章入りの金ボタンが5個付いた黒色の詰襟学生服、女子が紺色のブレザー。夏服は校章入りのワイシャツ及びブラウス。2003年(平成15年)より裾をズボンやスカートに入れないタイプの夏服が制定された。
- 進学(全日制課程)
国公立大学をはじめとする上級学校への進学を目指している。国公立では、地元である山口大学・広島大学・九州大学、私立では近畿地方に位置する関関同立へ進学する生徒が多い。また、東京大学・京都大学を始めとする旧帝国大学には毎年15 - 20名、早稲田大学・慶應義塾大学には毎年20 - 30名ほど合格している。
- 同窓会
校地にちなみ「旭陵(きょくりょう)同窓会」と称している。
沿革
- 1920年(大正9年)
- 3月7日 - 「下関市立下関中学校」の設置が認可される。
- 4月15日 - 下関市王司町の文関尋常小学校跡地において開校。
- 1923年(大正12年)
- 3月22日 - 下関市後田町長六(現・山口県立下関南高等学校校地)に新校舎が完成。
- 4月1日 - 県立移管により、「山口県立下関中学校」と改称。
- 1930年(昭和5年)
- 3月18日 -下関市後田町字須朶ノ木に新校舎が完成。
- 4月9日 - 新校舎に移転。
- 1932年(昭和7年)7月6日 - 図書館が完成。
- 1936年(昭和11年)4月20日 - 工業科教室が完成。
- 1938年(昭和13年)
- 1月9日 - 剣道場が完成。
- 2月7日 - 工業漆工室が完成。
- 1943年(昭和18年)4月1日 - 中等学校令が施行される。
- この時の入学生から修業年限が4年となる。
- 「山口県立下関第二中学校」(夜間課程)を併設(定時制課程の始まり)
- 1944年(昭和19年)- 軍需工場等への学徒動員が始まる。
- 1945年(昭和20年)
- *3月 - 4年生(1941年(昭和16年)入学生)と5年生(1940年(昭和15年)入学生)の合同卒業式を挙行。
- 4月 - 学校での授業を停止。ただし学徒動員は継続。
- 9月 - 終戦により、授業を再開。
- 1946年(昭和21年)4月 - 修業年限が5年に戻る(4年で卒業することもできた)。
- 1947年(昭和22年)4月1日 - 学制改革(六・三制の実施)が行われる。
- 1948年(昭和23年)4月1日 - 学制改革により旧制中学校が廃止され、新制高等学校「山口県立下関高等学校」(男子校)発足。
- 1949年(昭和24年)4月21日 - 山口県立下関高等学校と山口県立下関第二高等学校の2校が統合され、「山口県立下関西高等学校」となる。
- 1950年(昭和25年)4月1日 - 山口県立下関南高等学校を統合し「南校舎」とする。定時制(夜間部)、定時制黒井分校と定時制東部分校の2分校を設置。
- 1951年(昭和26年)3月31日 - 東部分校を山口県立下関東高等学校に移管。
- 1954年(昭和29年)4月1日 - 南校舎が分離し「山口県立下関南高等学校」として独立(再設置)。
- 1955年(昭和30年)12月20日 - 校旗を制定。
- 1959年(昭和34年)10月2日 - 創立40周年を記念して図書館が完成。
- 1963年(昭和38年)4月1日 - 通信制課程を山口県立山口高等学校へ移管し、協力校となる。
- 1965年(昭和40年)3月31日 - 黒井分校の定時制課程を廃止。
- 1972年(昭和47年)11月1日 - 黒井分校を小串に移転し、「響分校」に改称。
- 1974年(昭和49年)11月13日 - 第二運動場が完成。
- 1976年(昭和51年)11月29日 - 響分校の特別教室棟が完成。
- 1980年(昭和55年)4月1日 - 響分校が分離し、「山口県立響高等学校」として独立。
- 1982年(昭和57年)7月6日 - 本館棟が完成。
- 1983年(昭和58年)3月25日 - 特別教室棟が完成。
*1984年(昭和59年)3月27日 - 普通教室棟が完成。
- 1986年(昭和61年)10月9日 - 部室が完成。
*1994年(平成6年)3月29日 - 武道場が完成。
- 1995年(平成7年)4月25日 - 弓道場が完成。
- 2006年(平成18年)7月14日 - 武道場の2階に新体育館が完成。
- 2008年(平成20年)3月25日 - 屋内運動場兼講堂を解体撤去。
- 2013年(平成25年)7月 - 福岡県立小倉高等学校・福岡県立東筑高等学校と3校合同学習会を開始。
学校行事
- 3学期制
- 旭陵講演会
毎年6月の旭陵祭の前日に開催され、同校の著名な卒業生が招かれる。
- 旭陵祭(文化祭)
毎年6月に開催される。基本的にクラス単位で自由にイベントを行うが、3年は食品バザーである。
- クラスマッチ
毎年7月に2日間、3月(1・2年のみ)に1日間行われる。学年の枠がなく、1年生と3年生が試合をすることもある。
- 体育大会
9月に行われる。出身中学校により、東部、西部、南部、北部に分かれて競う。応援合戦は有名。
- 校外研修(修学旅行)
2年の冬(年次によっては1年の冬)に行われるスキー旅行。以前は長野だったが、2004年からは北海道に行くことが通例となっている。また、探究科は海外と国内の選択で好きな方に行くことができる(スキー旅行には行かない)。
- 生徒大会(生徒総会)
毎年2月に開催。
著名な出身者
アクセス
- 最寄りの鉄道駅
- JR西日本 山陽本線・山陰本線「幡生駅」より徒歩15分
最寄りのバス停
- サンデンバス 「東駅」バス停より徒歩5分
- 最寄りの道路
- 山口県道248号下関港安岡線
- 山口県道258号武久椋野線
- 山口県道57号下関港線
- 中国自動車道・関門橋「下関IC」より車で10分