慶應義塾大学
概観
慶應義塾大学は、中津藩士の福澤諭吉が藩命により江戸築地鉄砲洲(現在の東京都中央区明石町)の中津藩中屋敷内に安政5年(1858年)冬に開校した蘭学塾を起源に持つ大学である。慶應4年/明治元年(1868年)に木村摂津守の世話により、芝新銭座(現在の港区浜松町)の有馬家控屋敷跡に移転し、年号をとって「慶應義塾」と塾名を定めた。 明治以後、官公私立問わず、近代日本の教育制度、大学制度の立ち上げモデルになり、また後に私立大学となる学校の中で最初に授業料を徴収。日本の私立大学では早稲田大学(「早慶」の早)と共に最も古い段階で大学令に基づく大学となった。現在は10学部、大学院は14研究科となっている[1]。法学部・経済学部・商学部・ 文学部・医学部・理工学部・総合政策学部・環境情報学部・看護医療学部・薬学部、法学研究科・経済学研究科・商学研究科・文学研究科・社会学研究科・医学研究科・理工学研究科・政策/メディア研究科・健康マネジメント研究科・薬学研究科・経営管理研究科(ビジネススクール)・システムデザイン/マネジメント研究科・メディアデザイン研究科・法務研究科(法科大学院)が設置されている。 「天は人の上に人を造らず、人の下に人を造らず」の言葉が東館に刻まれている。
大学の特徴
慶應義塾には、「慶應義塾の目的」という文章が伝わっている。これは、1896年(明治29年)11月1日に、芝・紅葉館で開催された懐旧会(慶應義塾出身者との懇親会)において、福澤諭吉が行った演説を基に、福澤自身が書き直したものである。また慶應義塾では、塾訓である「独立自尊」を教育の基本に置く。
学風および特色
カリキュラム制定をはじめとする近代的教育システムのほとんどを日本で最初に導入した学校として知られている。日本の学校で最初に定額の授業料を納入させたのは慶應義塾であり、これは福澤諭吉の発案である。また、古来日本の風習には無かった演説を初めて取り入れ、明治8年には日本最初の演説会堂三田演説館が建てられた。
21世紀COEプログラム
- 2002年
- 生命科学
- システム生物学による生命機能の理解と制御
- 化学・材料科学
- 機能創造ライフコンジュゲートケミストリー
- 情報・電気・電子
- アクセス網高度化光・電子デバイス技術
- 人文科学
- 心の解明に向けての統合的方法論構築
- 学際・複合・新領域
- 次世代メディア・知的社会基盤
- 2003年
- 医学系
- 低侵襲・新治療開発による個別化癌医療確立
- 幹細胞医学と免疫学の基礎・臨床一体型拠点
- 数学、物理学、地球科学
- 統合数理科学:現象解明を通した数学の発展
- 機械、土木、建築、その他工学
- 知能化から生命化へのシステムデザイン
- 社会科学
- 市場の質に関する理論形成とパネル実証分析
- 多文化多世代交差世界の政治社会秩序形成
- 日本・アジアにおける総合政策学先導拠点
大学公式キャラクター
大学応援キャラクターのユニコンくんが存在する。ユニコーンがモチーフ。