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'''アンチ''' 、'''アンタイ'''(anti-)
 
* 「反〜」・「非〜」・「抗〜」を表す[[接頭語]]。
 
* 「反〜」・「非〜」・「抗〜」を表す[[接頭語]]。
 
* 日本のインターネット用語としては派生して、特定の[[個人]]・[[団体]]・[[企業]]・[[製品]]などを掲示板等で執拗に叩く人達を指す(例:「[[アンチ巨人]]」「アンチ[[2ちゃんねる]]」)。当項目ではこちらの意味としての内容を取り扱う。
 
* 日本のインターネット用語としては派生して、特定の[[個人]]・[[団体]]・[[企業]]・[[製品]]などを掲示板等で執拗に叩く人達を指す(例:「[[アンチ巨人]]」「アンチ[[2ちゃんねる]]」)。当項目ではこちらの意味としての内容を取り扱う。

2019年1月17日 (木) 04:14時点における最新版

アンチアンタイ(anti-)

  • 「反〜」・「非〜」・「抗〜」を表す接頭語
  • 日本のインターネット用語としては派生して、特定の個人団体企業製品などを掲示板等で執拗に叩く人達を指す(例:「アンチ巨人」「アンチ2ちゃんねる」)。当項目ではこちらの意味としての内容を取り扱う。

概要

アンチという接頭辞は日本語の中でも「アンチ○○」のようによく使われている言葉である。上記の通り本来の意味は「反~、対~、抗~」といった意味合いであった。

現在ネット上での意味のアンチとは特定の人物・団体・ジャンルなどを、理屈・他人への迷惑・ファンへの配慮を一切無視し、矛盾・暴論なんでもござれ、自分の感情の赴くまま叩き続ける行為やそれを行う人のことを指している。

残念ながらネット上においては自分のヘイト感情を辺り構わずブチ撒けるアンチが後を絶たない。と言うか「良識あるアンチ」が「良識がある」とされる根拠はそもそも公衆の場でヘイト感情を書き込まないことに由来するためネット上では非常に視認されにくい。すなわち「ネットで目にするアンチ=非常識な連中」となるのも当然と言えば当然である。

語源

野球用語として

「批判的」「反発的」な意味合いとしてアンチ〇〇と使われるようになったのは野球用語が初出と思われる。

1970年代辺りから野球用語として「アンチ巨人軍」などという言い方が存在し、これは、「反巨人軍」を意味する単語として使われていたのが始めである。また、巨人軍以外でも「アンチ○○軍」のようにも使われていた。(1983年には畑田国男が「アンチ巨人讀本」という本を出筆。)

この「アンチ巨人軍」「アンチ巨人」は「反巨人軍・反巨人」だけを意味する言葉であったが、1980~1990年代と月日を経過するごとに「巨人ファンに対抗する人」の意味でも使われる事が増えるようになる。

野球愛好家にとっては同じ野球愛好家同士が集まっても、どの球団を自分が応援しているかで対立の対象となる為にこの単語が頻用されていた。

この野球用語としてのアンチは「アンチ+(球団名)」の形で使われるのが主流である。

ネットスラングとして

現在のネットスラングとして使われるようになったのは1999年に設立された2ちゃんねるに由来する。 1999年10月8日に「プロ野球板@2ちゃんねる」は設立し、ここでも「アンチ○○」という単語は頻用されており、さらに2000年3月4日には、『アンチ球団板@2ちゃんねる』という板(スレッド群)が建設された。

このアンチ球団板は、自分の嫌いな球団についてなどを語り合う場所として当初から使われていたが、次第にアンチ球団板などでは、「アンチ」という単語のみで「○○球団が嫌いな人」のような意味で使われるようになる(ここで接頭語として使われなくなり、「アンチ○○」と表現しなくなるようになる)。

この影響で他の板でも通称「アンチスレ」というスレッドが立つようになり(ここでのアンチスレの意味は特定の対象物に対し嫌いな人が集まる場所として利用されていた)、やがて2ちゃんねる全体に広まるようになった。

2ちゃんねる用語としての「アンチ」は人物を表す名詞のように使われる事も多く、特に「激しく対象物に対し嫌悪感を抱く人」のような意味で使われる。また、漫画やアニメといった作品のファンの対義語のような使い方をされる事も多く、逆にその作品ファン自体が全て「○○厨」「信者」などと括られる事も増え、厨(信者)とアンチで分類の二極化が進んでいる。

特徴

口が悪く威圧的
基本的に口が悪く上から目線で暴言や中傷、あるいは嫌味、愚痴の混ざった揶揄的なコメントをする。
丁寧な言葉遣いは一切せず、過激かつ悪意の篭った言動でその対象や相手を否定および非難するものがほとんどである。
その対象を純粋に愛するファンとユーザーを否定・攻撃
自分の嫌いなものを肯定はおろか口にしただけでも「厨」「信者」と認定し、2ちゃんねる等の非アンチスレのように批判の場ではなのにも関わらず、対象となるものを口にしただけで、「信者」「〇〇厨」と根拠の無い邪推や思い込みで決めつける。
当然それに反論する者も多く出るが、それに対してもアンチはその反論・注意してきた人間を「信者」「厨」扱いして聞く耳を持たず、肯定する人間は全て厨・信者と罵倒する。
「論理的な批判」はしない
具体的にそれを嫌い、叩く理由を述べていても、極めて個人的な感情に基づいていたり、被害妄想の混じった難癖だったり、良くてもその言い方に問題があったりするととても他者から“論理的な批判”とは見られない。「オワコン」や「黒歴史」等、その作品や人物の存在意義を真っ向から否定するようなネットスラングを多用する事もある。
自らの発言を「論理的な批判」と思い込む
主に非アンチスレ等の場違いな発言をして注意されると、「俺の意見はちゃんとした批判」「ここでは批判を許さないのか」と誤った用法に基づく“言論の自由と権利”を振りかざして自身の主張を押し通そうとしたり、“非難”を"批判"と言い換えて中傷かつ揶揄同然のコメントや発言をしながらそれが咎められたりすると“言論統制”とか“火消し”といった言葉を使って非を認めようとしない傾向がある。
自分と同じアンチがいると便上して叩く
何よりそんなアンチが多数派になってくると、さらに自分達の方に理があると増長して「ここまで叩かれているんだからこの作品(や人物)は否定されて当然」「こんなのにファンが付くワケがない。擁護しているのは極一部」とより積極的に対象へのバッシングと普通のファンの排斥を行うようになる。
加えて普通の批判、「論理的な批判」が書かれてもアンチ側が「自分と同じように批判している」と思い込み、それに便乗する形で感情的な非難を行う事もある。(批判意見自体をアンチ行為と見なす者もいることから、批判か非難かの区別には慎重さが必要である)
叩く為に知識を得る
特定のアンチにはその作品内の粗や矛盾などの突っ込み所を基準にして攻撃して来る者もおり、一部の中にはそこを追求していった結果“その作品のファンも知らないor気付かない細かい部分も知っている”というヘタなファン以上にその対象の事に詳しくなってしまった者もいたりする。しかしそれらもあくまで攻撃のための理屈に基づくものである事は言うまでもない。

アンチと化する原因

熱烈な愛好家から転向したケース

下記の要因で裏切りによる転落や好きなものを護るためにアンチへと堕ちて行く、まさに愛情と憎悪は背中合わせ、表裏一体というやつである。

好きなシリーズの作品や内容が期待はずれだった

ファンの中には、設定や展開が自分が(勝手に)期待していたものと違ったと感じた時に作品や作者に対して裏切られたと感じる者がいる。そのように感じてしまうと作品や作者に対する感情が180度切り替わり、反発者となってしまう事がある。このような場合、その作品の原作者(アニメ、ドラマ、ゲームの場合は制作スタッフや役者)にも非難の矛先が向き、そんな一部の関係者を“責任者=戦犯”と見なしてアンチ行為がより一層激しくなる事が多い。 過激な者の中には僭越にも責任者および関係者の更迭や降板を求めたりと人事にまで口を出したり、さらには本気か否かはともかくその関係者らに対して脅迫じみた言動に及んだりもする。

無論、制作サイドが結果的にファンの期待に応えられてなかった場合や明らかに製作体制に問題があったなんていうケースも大きな要因だが、アンチ側は例え自分がアンチ方向に転向してどんなに過激な言動を取ろうとも「自分達ファンを裏切った制作側が悪い」「これはファンからの真摯な意見、批判である」と制作者側に全て責任があると、責任をなすり付けて自分がアンチ側になっている事を意識しない、あるいはそれを認めようとしない事も見られ、個人的な作品への愛や正義感から“自分はファンだからこそ叩いている”と、自覚無自覚問わず批評家感覚でアンチ同然の行為を行う者も少なくない。加えてそのアンチが嫌う要素を許容しているファンとの間で対立が起こり、その対象を扱っているコミュニティが荒れてしまうことも多い。

シリーズ変遷に適応できない

数多くの続編および派生作が出ている息の長い人気シリーズの場合、 過去の作品とギャップはどうしても出てくるが、自身がその作品とそれに登場するキャラクターに持つイメージの乖離に敏感になる者も増えてくるため、一度そのシリーズの関連作でそういう“自分達が納得出来ないと感じる展開”があると「前はこんなのじゃなかった」「出せば売れるとばかりに質の低いものを増産する」と批判し、場合によってはそのシリーズを扱っているコミュニティ内やその周辺で“炎上”に近い事態に発展する事もある。

その中にはそういった出来事を経てシリーズそのもののファンでありながらそのシリーズの中でも一部の続編や派生作品、あるいは一キャラクターに対してのみ「この作品はシリーズ全体の汚点」「こんなの認める奴はシリーズのファンではない」と否定に走るような限定的なアンチ、所謂原作厨・懐古厨が生まれたりして今度はそのシリーズのファン同士の対立が起こる事もあるなど、この辺もそのシリーズのコミュニティの内部事情をさらに複雑なものにしている。

これに根拠があるかどうかはわからないが、どんな場合でもアンチだけが悪いとは限らない。しかし、基本的にどんなものでも欠点はあるので大したことのないものや有益になりそうなものは上手く活かすべきであり、安易になくすべきではないだろう。それにゲームの場合や前作から長年空いた新作の場合などは大きな風変わりのリスクがあるものである。

好きなものを底上げする為

上記の理由とは別に、特定の作品とそれに出てくるキャラクター、またはカップリングに執着している“厨”傾向の人間が他の何かのアンチと化している場合もあり、こういうタイプのアンチは同じ作品の別キャラ、さらには全く関係のない他の作品およびそれのキャラを勝手にライバル視して「こっちの方が可愛いorカッコいい」「このカップリングはダメだからこのキャラはイラネ」「こっちの作品の方が面白い」と比較論を持ちだしてその対象を相対的に貶してくるケースも見られる。

言うまでもなく、他を卑下したところで自分が推すものの評価が上がるはずはない

嫌いなものが好評による妬みから出るケース

作品によっては、そのキャラクターの言動や性格、作品全体の設定そして展開が自分の趣味、あるいは理想や価値観に合わず不愉快に感じると言った、人によっては作品やキャラクターに好みが生じることがある。

価値観や嗜好なんてものは人それぞれであり、数あるキャラおよび作品の中にはどうしても自身に合わないものが出てくるのは当然といえば当然の話ではある。

しかし、自分の嫌いなものが高い評価を受けている事による妬みにより、「このキャラは最低だから居なくなればいい」とか「この作品の設定や展開はありえないから駄作」「この作品は問題作なのに何故好評なんだ?」とばかりにその自分の感覚を絶対的基準にしてその作品とキャラクターの存在そのものを完全に否定し、肯定的な意見を持つファンを排除しようとする。

間接的被害者から転向したケース

単純に愉快犯だったり嫌いだからアンチになる人間ばかりではない。愛好家や別の反発者、あるいは各種メディア等の執拗な趣味の押し付けを受け続けた挙句、生理的嫌悪感と過剰な精神的ストレスから新たな反発者が生まれてしまう場合も少なくはない。

これはニコニコ動画で見られるケースであり、特に人気の物に付きがちないわゆる“厨”と呼ばれる過激なファンが他の作品関係の場所で行った主張および工作によって何らかの不愉快な思いをした人間が「○○は俺たちに迷惑をかけた!」などと言ってその“厨”を生み出した対象そのものを目の敵にしてアンチ行為に走るという例も増えているが、そのアンチ自身が“厨”同然の存在になってしまい、そういった人間が他の場所で問題を起こす場合もあり、往々にして自らの迷惑行為について都合良く正当化するための口実に使われる理屈でもある。そして漫画・アニメ・ドラマ等の制作スタッフやキャストの方々に対しても風評被害的なものを作り出す為に極めて失礼である。

上記の被害から生じる誤解は、似たようなケースとしてpixiv内でROM専を卑下する発言が見られる。ROM専は荒らし・絵師様は偉いといった理論があるのは、一部のあまりにも悪質なROM専の存在が原因だろう。

愉快犯としてのケース

これらの層は「とにかく叩ければいい」とばかりに反発・攻撃自体を目的とする場合が存在し、上記の動機からエスカレートした場合や、完全に行為自体が娯楽化している場合などが含まれている。→ネットイナゴ

彼らは攻撃自体を目的としているため、物や作品を叩くために見続け、興味の無い作品すらも作者以上に熟読し、斟酌を加えず一刀両断、というか身も蓋も無い評価を下す。暴言を多用していたり、またそれに反応する人達の相互作用などから際限なく場が荒れる要員にもなるため、真摯に問題視し真っ当に批判を向けようとしている層にとっても迷惑な存在である。→対立厨

このような状態に至るまでにもまた複数の要因が存在しており、攻撃を娯楽行為としている層であったり、評論家的に自己顕示欲を満たす手段にしていたりと、人によって様々である。

アンチを利用した悪質なアクセス稼ぎ

最近爆発的な勢いでアンチを増やしている原因と言われる。

いわゆる[[[まとめブログ]]とかで見られるもので、2ちゃんねるなどの他サイトのコミュニティで出た否定的な意見だけを集めてわざとその対象の評価がいかに世間的に悪いものなのかをアピールしたり、逆に褒め殺しに近い担ぎ上げ記事を作り、自ら他人を装ってファンやアンチを煽る書き込みをしてさらにファンとアンチを対立させ事態を泥沼化させる事で意図的にネット上を炎上させ、アクセス数などを増やし自身のフォロワー稼ぎやアフィリエイトを介した収入を得ようとすることを目的としている。

これらはアルファアフィカスと呼ばれる人種で、この手の人間のアンチ発言は極端な数字・拝金主義思想に徹している事から「いかにその作品のファンを刺激するか」を重視している。過去の炎上発言の悪い意味での功績から純粋に発生したアンチと違って数千人以上のフォロワーを持っている事が多く、その内容がアンチ発言を繰り返しているアカウントはこのアルファやアフィカスである可能性が非常に高く警戒必至。

無論、彼らは人気作品は自分の名声や小遣いを増やすための消費コンテンツとしか考えておらず、作品そのものに対してはどうでもいいというのが本音であり、ブログの運営者自体は厳密にはアンチとは言えないかもしれないが、その対象のファンからすれば恣意的に対象のマイナスイメージを拡散してアンチを増やしていることからアンチと同等かそれ以上に悪質な存在に映ることもある。

さらにそのアルファやアフィカスによる意図的なアンチ行為をにわかが真似し、ファンに迷惑をかけるという二次災害まで発生することも。

アンチによる迷惑行為

匿名掲示板での例

姿形を隠せる匿名掲示板ではほぼ当たり前のようにアンチによる荒らし・誹謗中傷といった迷惑行為が盛んに行われている。主な行動を上げていく。

敬語や丁寧な言葉遣いをしない
基本的に口が悪く上から目線で暴言や中傷、あるいは嫌味、愚痴の混ざった揶揄的なコメントをする。
アンチスレを乱立させる
対象となる作品にはファンスレとアンチスレと住み分けがされているが、アンチの人達はアンチスレがちゃんとあるにも関わらず、幾つもアンチスレを乱立する。
勝手に「〇〇厨」「〇〇信者」と認定
非アンチスレなのにも関わらず、対象となるものを口にしただけで、「信者」「〇〇厨」と根拠の無い邪推や思い込みで発言。
非アンチスレを荒らす

対象となる作品・キャラクターを語るスレと言った非アンチスレの空気や雰囲気を乱すために、誹謗中傷・煽りと言った荒らし行為、酷い場合には敵対する相手の個人情報を晒し上げて荒らしを突撃させる事をし、最終的にエスカレートして炎上させるなどの破壊的工作を行う。

SNSサイト、動画サイトでの例

嫌いな作品や人物を叩くイラストやSSを投稿する
通称ヘイト創作と呼ばれるもので、嫌いな作品や人物を暴力的制裁を受けている作品や、作中で対象となるものを過激に批判する内容の作品を創り、投稿する。
タグ荒らしをする
ニコニコ動画やpixivでは他ユーザーが作品にタグを付けることが出来るが、タグを付けたユーザーは公開されないので、それを悪用して罵倒・批難が込められたタグを付けていく。
コメントで誹謗中傷する
作品を見たユーザーは評価や感想を書くためにコメント昨日が存在するので、そこに作品や作者に対する罵倒・誹謗中傷を残していく。
また、ニコニコ動画などの動画サイトのコメント機能でコメント投稿者が公開されないのを良いことに、コメント荒らしをして炎上させることもある。
上記の言動を捨てアカウントで行う
pixivのような複数アカウント制作が容易なサイトなら、荒らし行為を行い通報され規制されても、すぐにアカウントを作り直したり、別のアカウントを使い荒らし行為を続行する。

ウェブ百科事典での例

自分の嫌いなものに関する記事にて、肯定的内容が書かれている場合にはその内容を批判的な内容にすると言った事を行う。 また、ピクシブ百科事典のようにタグとして使用するために「〇〇を殴り隊」「〇〇をイジメ隊」と言ったヘイトが込められた記事を乱立することも。

現実世界での例

アンチの行動はネット上に止まらず、現実世界にも発展する場合にもある。

リアルの世界では学校や職場でファンをファンであることを理由でいじめや迫害を行う者もいる。

更に酷い場合には、イベント会場で刃傷沙汰に発展してしまったりすることもあるので、笑い事では済まされない。

アンチによる影響

上記のような層は、本来「アンチ」と表現される層とは大きく異なる存在であるが、呼称の分別が行われることのないまま増加し、既に本来の反発者としての意味合いと同化しきっている状態にあり、既に幅広い面で多くの悪影響が発生している。

主張その物に対する信頼の下落

アンチによる荒らし行為が蔓延することにより意見その物が信用されにくくなり、特に批判を伴う物に対しては、例え丁寧な言葉と態度を尽くしたとしても、「荒らし」「アンチ」という受け止め方がされるようになってしまう。

それらはアンチに対しても影響を与えており、攻撃が常態化するにつれて被害者であることや愛好家から転じることについても攻撃のための口実であり「本当は叩けて嬉しいのだ」と断じられてしまうことにも繋がっている。

それに対して本心から真っ当に意見を発したい層は、アンチとは違って誠意ある存在であり、アンチとは一線を画した位置にいる、さらにアンチに燃料を与えるつもりでもないというアピールを単身行って信頼度を稼ぎ「こいつの意見なら聞ける」状態にしないといけない…アンチも相手に、という不可能レベルの非常に高いハードルにぶつかることとなってしまっている。

そして、それら主張その物への信頼の喪失による最も大きな問題は、アンチ側にとっては好都合であることである。アンチ側はそれを自重する理由がなく、そうして攻撃と不信が繰り返されることにより、元々は過剰とも言えるはずだった上記の反応についてもむしろ正当性が高まっていくことにもなり、ますます真っ当に主張しようとする一部の層が割を食うことになるのである。

集団全体に対する信用の喪失

常日頃からアンチ行為が繰り返されているような場所、そして集団に対しては、アンチ自体が不特定多数の集団であるが故にアンチが居るサイト自体がそれらの悪印象を被ることになる。

代表的な例としては2ちゃんねるのような匿名掲示板である。(最も、これはアンチや荒らしを野放しにする運営側にも問題があるが。)

一見こちらもアンチに好都合と言えそうだが、万人がそれぞれ好きなものが想定以上に広い範囲で同時に無差別に巻き込まれることになるのは言うまでもない、誰もが攻撃する側でだけはいられないということである。いわゆるオタク層全体の印象の事情などが好例である。

そんな中で何か正論を説いたとしても、上記の通り既に主張の信頼は失われているために、空虚な尻尾切りとしか受け止めてはもらえない。

相互不信の連鎖による場の荒廃

場がアンチだらけになれば、新しく入ってくる人間も当然それに倣って同じことをするようになってしまう。なにせ先達が堂々とやっていることなのだから、悪いことだと言われようととうに説得力が皆無…という流れである。そうして負の連鎖が繰り返されて現在にまで至っている。

「批判」に対する極端な嫌悪感

アンチによる荒らし行為が蔓延することで、やがてアンチだけでなく、丁寧な言葉遣いと態度を尽くした普通の「批判」に対しても嫌悪感を抱くように、皮肉にも自信が嫌うアンチと同類の存在になってしまう事がある。→アンチのアンチ

アンチの影響を受けたと思われる事例

アンチによるこれらの行為は時にその対象の展開具合にも影響が現れるとされ、具体的にはそういったマイナスの風評から来る人気の低迷、しいてはその対象の関連商品の売上が落ちたりといった事態が発生する。酷いケースだとそんなアンチの直接攻撃に対象本人や関係者が晒されてその人らの心身および名誉を著しく傷つけて活動のモチベーションを下げたりするなど、上記のものを含めた現実的な被害が出ることもある。

以下、影響を受けたと思われる事例を上げていく。

ぷよぷよシリーズ

言わずと知れた有名な落ちものパズル。元はコンパイル制だったが経営の悪化により、ぷよぷよの版権はSEGAに売り渡すことになる。

その後セガから作られたぷよぷよフィーバーはコンパイル時代の世界観から掛け離れている、パクリキャラが居る等コンパイル時代のファンからはかなり不評を買い、更に15周年記念作品であるぷよぷよ!では復活した一部キャラ(得にルルー)がコンパイル時代と比べて改悪されてると酷評され、セガ制ぷよに対する糾弾的批難は2ちゃんねるやニコニコ動画だけに止まらず、各サイトのレビューや個人サイト、挙げ句の果てにはたのみこむでもセガに対する誹謗中傷が行われた。

その原因で、ぷよぷよ!の後に制作・発売されたナンバリング作品のぷよぷよ7は前作からの多くのキャラのリストラ、カットイン時のイラストを前作から流用、そして何より人気の高いウィッチとハーピーが漫才デモにて台詞無しの一枚絵だけの登場という散々な扱いを受けるという、前作と比べると手抜き・いい加減な作りという酷評を受けるような出来となってしまった。(但し作品自体は批判点ばかりではなく、それなりの一定の評価は得ており、得にBGMの評価は高い。)

以降、ナンバリング作品はここで終わり20周年記念のぷよぷよ!!テトリスとのコラボレーション作品でテトリス30周年記念作品でもあるぷよぷよテトリスを最後に、現在落ちものパズルとしてのぷよぷよは作られていない。

ROOTS26

BEMANIシリーズの一つであるbeatmania IIDXのイメージキャラクター達。

当初は硬派と称される作風だったが、LOVE SHINEやDoLLで同人要素が見られるイラストを手掛けた辺りから批判的な意見が現れた。これは今まで作風から掛け離れた雰囲気だった為である。

やがて月刊アルカディア内のコーナーとして連載されたROOTS26での女性キャラの画風が各キャラの設定が深く掘り下げられると同時に批難の声も強まってきてしまい、音ゲー板等でIIDXのロケテ及び新作が稼働する度にGOLIの作風やキャラ設定等に対する罵倒・誹謗中傷が書かれるようになり、酷い場合だとスレッドが炎上にまで発展してしまう事も珍しくもなかった。(特に、EMPRESSのロケテ時の天土の衣装、EMPRESS稼動後紗矢の設定の批難は強く、SIRIUS稼動時での音ゲー板でのスレで炎上したこともあった。)

以降、アルカディアでのROOTS26は連載終了した後に制作されたドラマCD、ROOTS26_S[suite]では各キャラクターに強引な跡付け、Vol.3第四話ではバッドエンドになっている等、アンチの影響を受けているようなストーリー展開へとなっている。 (但し作者のGOLI本人はピクシブ百科事典で書かれていた自身の記事の推測について、Twitterにて幾つか否定しているので全てが全てアンチの影響とは言い難い。)

その後、 ROOTS26_S[suite]は物語が完結しないままVol.5でストップし、アーケードでのROOTS26のストーリーが見られるモードはResort Anthemを最後にROOTS26のストーリーは停滞してしまい、プロフィール等のキャラクター設定の更新がされないままになってしまう。また、過去の資料や設定、イラストをまとめた設定資料集も作られていない。

機動戦士ガンダムSEEDSEED DESTINY

「平成時代のファーストガンダム」を目指す(福田己津央監督談)という方針で制作された新シリーズのガンダム。作品自体はヒットしたが、内容は各キャラの扱い、エログロシーンや戦闘バンクの使いまわし等で問題があった為にアンチによる迷惑窮まりない言動が見られた。

後に続編の機動戦士ガンダムSEED DESTINYが放送されるが、前作で指摘された問題点は改善される処か、主人公交代、死亡した筈のキャラが実は生存していた、ジオンのMSに似たデザインのMSが登場するという内容で、得に主人公である筈のシン・アスカの扱いには批判的意見が存在した。 しかし前作同様に、商業的には成功を収めるという結果を得ており、当然アンチからすれば、「こんな問題作が何故ヒットしたんだ」と面白いものでは無いので2ちゃんねる等でファンに対して罵倒暴言を尽くし、得に些細な事で「種厨」とレッテル張りをする等、アンチが原因で荒れる事は頻繁に見られた。

その結果からか、後に制作された機動戦士ガンダムOOは劇場版が制作される、SEEDの外伝ストーリーのASTRAYシリーズは長く続いているのに対し、本編では劇場版の製作が2006年5月7月に発表されたにも関わらず現時点で劇場版に関する情報はおろか本編の新たなるストーリーは制作されていないのが現状である。

対策

秩序が保たれないネットの世界ではアンチが必ず存在するので、遭遇した場合、冷静な対処をしなければならない。

自分もアンチと同じ感情的にならない
アンチ側は口が悪く罵倒暴言を吐いて来るが、こちら側も感情的になると火に油を注ぐ事となり荒れる原因になり、得にファンとアンチの対立で荒れるのを楽しむ愉快犯にとっては好都合になってしまうので、目くじらを立てる前に先ずは冷静に対処する必要がある。
アンチ側の意見を冷静に聞き、判断した上で丁寧に反論する
アンチの攻撃には様々な理由があり、何故批難するのか、どうして嫌いなのか、場合によっては問い掛けてみるのも一つの方法と言えよう。
問い掛ける際、丁寧な言葉遣いで、尚且つ相手の言い分を聞き入れ、そして相手の意見や自分の考えをまとめてから、自分の意見を述べる、というようにアンチと話し合うことも大事である。
感情的にならず、冷静な対処を行う
しかし殆どのアンチは話し合いが通じないのが当たり前であり、話し合いすら出来ない相手は何を言っても話が通じないので、その場合はスルーするのが一番である。
また、運営が対処してくれる場合には、運営側に報告して対処してもらうのも一つの手である。
耐えられない場合は自分から去る
例えスルーしてもアンチ側は粘着し続ける、規制されても別のアカウントで襲いかかる、というようにアンチ側がしつこく嫌がらせをし耐えられないのであれば、今自分が居るサイトを諦めて去り、他のサイトを利用するのも手手である。

アンチにならないようにするために

自分は嫌いなものがあってもアンチにはならない!と思っていても人生生きている内に自分と考えや価値観が合わない作品やキャラクターに遭遇することは必ずある。

もし嫌いなものが出てきて、且つ批判したい場合には次の事に気をつけなければならない。

相手の立場になって考える
例えば自分の嫌いなものが、他所や他のユーザーが評価されていて、「〇〇〇が良い何て、どんな神経しているんだ?」と批難したくなったとき、逆に自分の好きな作品やキャラクターが批難されたり、またはその好きなもののファンであることを理由に差別されたときの事を考えてみる。
作品の評価が様々であれば一人一人の趣味も様々である、嫌いなものを完全に否定する位なら共通の話題や趣味を持つ相手を探すのが懸命だろう。
批判する場合、場所を選ぶ。
この世には完璧な作品やキャラクターは存在しない、何かしら欠点は存在しているのである。中には欠点を受け入れたうえで評価するファンも存在しているのである。
もし、作品に対して欠点を批判したい場合、まずはレビューサイト等、批判的意見が許される場所を選ぶ。

また、2ちゃんねるのファンが集うスレッドには、例え丁寧な言葉遣いであっても受け入れられず、荒れる原因を作り出す可能性もあるので場の状況を読む必要がある。

言葉遣いに気をつけて批判する
例え批判する作品が問題作であっても、感情に任せた発言をしてしまうとアンチや荒らしになってしまう。
先ずは、冷静になった上で問題点を指摘して、丁寧な発言をする。
アンチになってしまったら、アンチ対象から離れる
どんなに対処を尽くしても、感情に負けてアンチになってしまった場合、先ずはアンチ対象から離れて、冷静になり落ち着かせる事が重要である。

最後に

ここからはピクシブ百科事典のアンチの記事から借りての内容になる。


何かに対して肯定的な感情や好意を持つことが自然なことなら否定的な見解や感情を持つことそれ自体も決して悪ではなく自然なことであり、なんら咎められるべきことではない。


『アンチ』と言えば『対象を100%こき下ろし肯定派までをも蔑まねば気が済まぬもの』というマイナスイメージが先行しているのが現状であるが、概要にも書かれているように本来的な意味はそうではなかった。


アンチの存在そのものを一切許容せず「マイナスな意見は絶対に許さない」などという強固な姿勢も決して肯定され得る態度ではない。

往々にして世間一般的に「善」と論じられるもの、もしくは自分自身がよいと感じているもの・そう信じている事柄を盲目的なまでに賞賛し、それに敵対するものを「悪」とみなして排除しようとする風潮はバランスを大きく欠いたものであり、行き過ぎれば批判勢力の封じ込めや言論弾圧にも通じかねないからである。

もちろん、これは否定派の側にも当てはまることであり、自分の嫌いなものを手段を問わずに潰そうとする姿勢も決して許容され得るものではない。


そもそもまずネットとは不特定多数の人間が集まる場所であり、現実同様、価値観の合わない人が存在することは大前提として頭に入れておくべきことである。

人によって多様な価値観や感性が存在する以上、その正しさや優劣を論じ合うことは全く無意味である。そればかりか、不毛な論争に終始するだけであり、全くもって非建設的なことだ。

それが互いに顔の見えないネット上でならなおのこと。そのことを、アンチもファンも冷静に考えて欲しい。


つまり大切なのは、どちらの考えが、どの考えが、誰が正しいのかではなく、


偏った考え方に凝り固まって排他的なものの考え方に陥らないよう気をつけることなのである。


それを踏まえた上で、以下のことを心掛けてほしい。


アンチに対して反感を持つ人へ

『自分が好きなものを嫌う人もいるのだ』という事実を受け入れつつ、『どんなに嫌いな人がいようと、オレはこれが好きなんだから批判とか悪口なんて関係ないさ!』と、意に介さずスルーできるだけの度量の広さと心の余裕を持とう。


どんなに相手への批判が許せないものだとしても、相手に殴りこんで論争に持ち込んだり、相手に対する膨大な量の批判を送り込んでブログやサイトを炎上させるなどの行為も決して許容されるものではない。 アンチに批判されている人をかばったり助けたりしてあげたいなどの正義感からそういう行為に及んだ場合、却って事をこじらせ、状況を悪化させてしまう場合もある。


特定の作品や人物への度を越した悪質な誹謗中傷や犯罪行為など、あまりに悪意的で悪質な内容を含んでいた場合は、相手方に殴りこむのではなく然るべき機関への通報をおススメする。


…ただ、そうした対処をいくらした所でネット上から醜悪なアンチ感情が消える気配を見せないのも事実で、非常に難しい問題ではある。


特定の事柄にアンチ感情を持つ人へ

「この作品はここがこうでこうだから、好きになれないのだ」という、理論的かつきちんと筋の通った批判を展開し、なおかつ感情の思うままに流されることなく、批判の対象を好む人々に対する思いやりを持った言動でもってそれを表に現す姿勢を持って欲しい。 周囲への配慮を欠く批判はたとえ正論であっても反感を買いやすく敵を作りやすい。


大事なのは正論を言う事ではなく、相手の逃げ道を作ることである。

自分がいくら正しいと思っていても、態度が正しくなければ正論にはならない。

逃げ道を失った人間ほど相手は塞ぎこんでしまい、余計に反発してしまうものなのだ。

だからある程度の許容が必要である。大事なのは相手の意見や趣味性癖嗜好の存在そのものを否定しないことである。相手の「対象が好き」という好意や嫌悪、そしてその表現の場そのものを否定してしまうと相手はアイデンティティを発散させる場所を失い、その穴埋めとして暴言に走ってしまう恐れもある。

「漫画が好きなだけなら、漫画を描くな」と言われたらどう思うだろうか?表現の場を奪うということは、存在そのものを否定しているのと一緒である。親切心で言ったつもりでも相手からすれば迷惑極まりないのは当然である。


特にネットというツールが発達した現代ではある批判に対して反感を抱く層が不特定多数の広範囲に渡ることが多くなり、批判に対する批判が膨大に流れ込むことによる炎上の勃発や報復的な個人攻撃などが発生し、大きなトラブルに発展する可能性も大いにある。

有名人、個人問わずネットで批判を行った結果、大多数の人間からの反感を買って炎上する事件が日常茶飯事で起こっていることからもわかるように批判という行為には批判に対するカウンターパンチを食らう可能性への覚悟が必要なのである。


そして、これらのどちらにも属さない場を引っ掻き回して煽ることを目的にしている悪質なアンチに乗せられないよう正常なアンチもファンもお互いに十分に冷静になろう。




そして最後に。

自分の嫌いなものにわざわざ触れない


自分が好きなものを嫌っている人にわざわざ近づかない


これがファンもアンチもお互いに穏やかに共生できる有効な方法であることを覚えておきましょう。

ストレスを貯めたくないなら自分からストレス源に突っ込むな、ということです。


関連項目

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