関西学院大学

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関西学院大学(かんせいがくいんだいがく、英語: Kwansei Gakuin University)は、兵庫県西宮市上ケ原一番町1-155に本部を置く日本の私立大学である。1932年に設置された。大学の略称は関学(かんがく)、(商標登録番号3033847)、関学大(商標登録番号5197255)、K. G. (商標登録番号3108177)などがある。
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概観

5つのキャンパスの中で最も古い歴史を持つ西宮上ヶ原キャンパスは、日本有数の美しいキャンパスとも言われる国の登録有形文化財である時計台(旧図書館)など「スパニッシュ・ミッションスタイル」で統一された建築群と、約240種4万9千本に上る樹木に囲まれている
2009年(平成21年)には、経済産業省認定の近代化産業遺産群 続33の1つに認定されている。また、2017年(平成29年)には、学校法人関西学院と、キャンパスや建物の設計業務を担ってきた株式会社日本設計に対して、一般社団法人日本建築学会より2017年日本建築学会賞(業績)が贈られた。

沿革

1889年(明治22年)9月28日、アメリカ南メソヂスト監督教会派遣の宣教師ウォルター・R・ランバスによって、いわゆる「原田の森」(兵庫県菟原郡原田村、現在の神戸市灘区王子町・原田通)に関西学院(英文表記: Kwansei Gakuin/West Japan College)が創立された。当初は、神学部および普通学部の2学部から始まった。
1910年(明治43年)にカナダ・メソヂスト教会が経営に加わり、1912年(明治45年)3月5日には、専門学校令による高等学部文科・商科を開設、高等教育機関となる。同年、高等学部長C・J・L・ベーツが、カレッジモットーとして「Mastery for Service(奉仕のための練達)」を提唱した。1921年高等学部文科を(専門部)文学部、商科を高等商業学部と名称変更。
創立40周年を迎えた1929年(昭和4年)、校地拡張と大学昇格基金等の捻出を目的として、上ケ原校地(兵庫県武庫郡甲東村、現在の兵庫県西宮市上ヶ原)に移転。その後1932年(昭和7年)3月7日に大学令による関西学院大学が設立認可され、予科を開設。1934年4月1日に法文学部・商経学部を開設した。1937年には、大学第1回卒業生201名を輩出した。また、1943年に学院史上初の女子学生浜口みづらが入学し、1946年には初の女子卒業生となった。

新制大学として

教育基本法・学校教育法による新制の関西学院大学が認可され、1948年4月1日、法文学部・商経学部を改組した文学部・法学部・経済学部の3学部をもって移行開設。1950年には、新制大学第1回卒業生386名を輩出した。1952年に神学部、商学部、1960年に社会学部、1961年に理学部をそれぞれ開設した(上ヶ原キャンパス)。これにより、文理双方の学部を有する総合大学として発展していく。しかしその後、全国の大学で吹き荒れた学園紛争の嵐が関西学院大学にも及び、学生と教職員との対立が激化し、学院のシンボルであった時計台前のヒマラヤ杉が一部の過激な学生により切り取られるなどした。また、1980年後半には神戸三田キャンパス用地の購入を巡り、理事会と大学側が一時対立した。結果、翌1989年(平成元年)3月に院長と学長がそれぞれ退陣するという形で決着し、学院組織の改革が行われた。

教育の特色

キリスト教主義に基づく教育を実施している。語学教育、国際交流に重点をおいているのが特徴であり、歴史的に北米の大学と強い連携がある。また、理系学部は理学部に起源があるため理学色が強い。


教育・研究

  • スーパーグローバル大学等事業スーパーグローバル大学創成支援
    • 「国際性豊かな学術交流の母港『グローバル・アカデミック・ポート』の構築」(タイプB:グローバル化牽引型)
  • グローバル人材育成推進事業
    • 「実践型“世界市民”育成プログラム」(全学推進型)(全国で11大学が採択された。)

他多数。

大学公式キャラクター

大学応援マスコットソラランという鳥をモチーフしたキャラクターが存在する。

関連項目

出典

公式サイト