日本大学

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日本大学(にほんだいがく、英語: Nihon University)は、東京都千代田区九段南四丁目8番24号に本部を置く日本の私立大学である。1920年に設置された。大学の略称は日大(にちだい)。
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概要

日本大学は、日本最大の規模を有する総合大学である。「常に世界的な視野をもち、教育の発展及び人類社会への貢献」を教育目標としている。2015年度の収入規模1,882億円は私立大学全体で第1位であり、2016年5月時点での生徒数70,677人も日本の大学全体で第1位である。2016年度の社長の出身大学者数22,135人、2016年度の警察官の採用者数171人、2017年の公務員の採用者数1028人、2017年度の一級建築士の合格者数181人においても日本の大学全体で第1位である。

初代校長は金子堅太郎、学祖は山田顕義伯爵であり、創立関係者は金子を含む法律学者11名である。山田は、時の司法大臣であると共に日本法律学校の上位機関にあたる皇典講究所の所長を務めていた。その立場から、先の創立者との協議のうえで「日本の古法旧制を明かにして、更に新しく生れる諸法典を研究するため、日本の法学を修める学校を設立する」ことを取りまとめた。すなわち、彼は大日本帝国憲法が発布された近代国家の創成期において、その「国法」を専修する法律学校の設立が急務であると考え、直ちにその設立事業に取り掛かった。そして1889年(明治22年)10月4日、東京府から設立許可を得て、現・日本大学の前身である日本法律学校が誕生した。また、山田は同学設立後も文部省に対して「特別認可学校」とするよう要請し、同学の運営財政面において尽力した。

建学の精神

日本大学では他大学の理念に該当する学則として以下に「日本大学の目的および使命」というものが1949年に定められた。また、2007年6月1日に教育理念として自主創造を選定した。

建学の起源

当時、明治政府は欧米の列強と条約改正交渉を進めるために新しい法律の整備を急いでいた。1889年2月11日、明治憲法の公布をきっかけに、欧米諸国の法律だけではなく、古典的な意味合いから日本独自の法律を教える学校を建設する必要性が高まっていった。これに対応するように、同年10月4日、皇典講究所の校舎を借り受ける形で、現法学部の前身にあたる日本法律学校を設立したことに始まる。

関連項目

出典

公式サイト