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吉田拓郎

吉田 拓郎(よしだ たくろう、1946年4月5日 - )は、日本のシンガーソングライター、作詞家、作曲家、編曲家、音楽プロデューサーフォーライフ・レコードの第2代社長である。本名同じ。旧芸名は平仮名のよしだたくろう竹田企画(事務所)、avex trax(レコードレーベル)に所属。鹿児島県伊佐郡大口町(現:伊佐市)出身。広島商科大学(現:広島修道大学)卒業。血液型はA型。身長176.5 cm。1970年にデビュー。
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ジャンル

J-POPフォークソングニューミュージックロック

  • 担当楽器

ボーカル、コーラス、ギター、ハーモニカ、ベース、パーカッション

共同作業者

新六文銭
瀬尾一三
愛奴
かまやつひろし
松任谷正隆
ブッカー・T・ジョーンズ
加藤和彦
LOVE LOVE ALL STARS
吉田建
武部聡志
鳥山雄司

人物

日本のシンガーソングライターの草分け的存在であり、1970年代初頭、マイナーであったフォークとロックを、日本ポップス界のメジャーに引き上げた歌手である。また、大規模ワンマン野外コンサート、ラジオの活性化、CMソング、コンサートツアー、プロデューサー、レコード会社設立などのパイオニアとして、日本ポピュラーミュージック史において特筆すべき役割を果たした。日外アソシエーツ『ポピュラー音楽人名事典』は、「ニューミュージックを代表する音楽家」と掲載している。2000年2月号の日経エンタテインメント!の特集「J-POPの歴史をつくった100人」で、J-POPの開祖と記される。

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受賞

1967年
  • 本人
    • 第1回ヤマハ・ライト・ミュージック・コンテスト 中国地区大会ロック部門 優勝
1968年
  • 本人
    • 第2回ヤマハ・ライト・ミュージック・コンテスト 中国地区優勝、ヴォーカル・グループサウンズ部門 全国4位
1974年
  • 襟裳岬
    • 第16回日本レコード大賞受賞(作曲:吉田拓郎)

音楽性・影響

音楽性
  • 自身の生き方や恋愛体験などをテーマにした拓郎の歌は、従来のフォークファンからは“大衆に迎合して軟弱な歌を歌っている”“商業主義”“裏切り者”“堕落した”などと批判され、ジョイントコンサートなどの会場では激しい「帰れコール」を浴び、石を投げられることもあった。「アングラこそがフォーク」と信じて疑わない人たちはレコードが売れるとそれだけで商業的だとその歌手を敵視した。
  • 1972年4月22日に日本武道館で行われた「フォーク・オールスター夢の競演音搦大歌合戦」なるイベントでは、岐阜の山から降りて久しぶりにステージに立った岡林信康の後に登場した拓郎に激しい“帰れコール”が浴びせられ歌が聞こえないほどであった。またビール瓶などモノを投げつけられ本当に帰る事もあったという(慶應三田祭事件)。当時は客席から罵声が飛ぶことは珍しくなく、拓郎のステージに罵声が飛ぶのは日常茶飯事だった。拓郎ほど人気を得たアーティストはそれまでいなかった。拓郎はフォークシンガーで初めて女性ファンが付いたスターで、雑誌に「よしだたくろうのコンサートには、女学生が多くて、フォーリーブスのコンサートみたいで、とにかくムナクソ悪い」などと書かれ、フォーク仲間からもあまりに「あいつはフォークじゃない」と非難されるので、拓郎は「そんなら、おれはフォークじゃなくていい」と居直った。
  • 反体制、反商業主義こそが、フォークソングの本質という生硬なフォークファンからは大きな批判を浴びたが、拓郎はマーケットに迎合したわけではなく、日々の生活の中で抱くまったく個人的な心情を、より日常的な言葉で歌ったに過ぎない。
    むしろそうすることで、旧態依然としたフォークソングの閉鎖性から訣別しようとしたのである。フォークシンガーが内省的となる傾向のある中で、平凡でストレートに思いを表現する潔さがあったとされる。罵声が飛んでも歌い続ける姿勢が支持者を増やした。全ての若者がプロテスト系のフォークを支持しているわけではなく、同世代の普通の若者からは絶大な支持を受けた。北中正和は「1972年に連合赤軍 あさま山荘事件が起こり、彼らのリンチ殺人事件が発覚すると、学生運動に何らかの共感を抱いていた人たちの気分も引いてしまった。1960年代の余燼はどんどん消えていった。吉田拓郎の人気浮上は、そんな世相の変化を感じさせた」と論じている。寺島実郎は「吉田拓郎の『結婚しようよ』と井上陽水の『傘がない』を聴いたとき、『政治の季節』が終わったことを確認した」と論じている。
    最初はメッセージ・フォークを歌っていて、1971年のフォークジャンボリーでは、同イベントの形骸化批判の口火を切ったにも関わらず、その半年後には「結婚しようよ」をリリースするという"変節"に関して、伊藤強は「1972年には日本はすでに政治の季節を終えていた。終わってしまった季節に対して何を言っても意味はない。吉田拓郎は時代の好みを鋭敏に嗅ぎとったのに違いない」などと述べている。
    菊池清麿は「吉田拓郎の登場は、自作自演のスタイルはもちろんのこと、世代感をアピールする強烈なリアリティーを持つ新しい若者文化だった。これによってフォークの形態が大きく変わった」と論じている。
    スポーツニッポンの音楽担当記者だった小西良太郎は、「吉田拓郎が1970年『イメージの詩』でシングル・デビューして、歌謡曲の歌い手がよくやるプロモーション行脚で僕を訪ねて来たのには不審の念を飲み込んだ。それまで会ったフォーク勢は、マスコミにも白い眼を向け、レコードが売れることを拒否、自作の宣伝など以ての外の筈だった。その後吉田が、反抗するメッセージ臭のかけらもない曲を連発すると、案の定戦闘的なファンから猛反発を受けたがしかし、それらの曲が大ヒットすると吉田は時代を歌う旗手の一人になった。吉田はみんなの連帯ソングから我が道をゆく個人の精神を取り戻し、狙い撃ちでヒット曲を書き続けた。終始衰えを見せなかったのは、胸中の熱い血と歌声に色濃い覇気、作品にある鮮度、独自の姿勢を貫く意思の強さがあった」などと評している。
    60年代のカレッジフォークや社会派フォークとはまったく異なる地平で自身の「うた」をクリエイトしていた拓郎の音楽が瞬く間に大衆に受け入れられたのは、旧来の〈フォークソング〉が〈フォーク〉へと変貌していく時代の要請であると同時に、ある種の必然でもあった。
    筒美京平は「吉田拓郎の『結婚しようよ』がヒットしたとき、初めて脅威を感じた」と述べている。馬飼野元宏は「フォーク史のいくつかの転換期の中でも、吉田拓郎の登場と、その後数年間の活動は日本のフォークシーン最大の山場といえる。拓郎がデビューから5年間に切り開いた功績と音楽シーンへの影響は計り知れないが、何よりプロテストソング全盛だったフォークシーンから時代の舵を奪い取ったことが大きいのではないか」と述べている。
    恩蔵茂は『ニッポンPOPの黄金時代』という2001年の著書で戦後の日本のポピュラー・ミュージック(ポップス)の歴史を、序章「ザ・ヒット・パレードの興亡」から11章に分け論じているが、第10章である最終章、1970年代から今日(2001年)までのタイトルを「拓郎からJ-POPへ」としている。富澤一誠は「吉田拓郎が出なければ、今のJ-POPはないといっても過言ではない」と述べている。
影響

洋楽の原点はニール・セダカ、コニー・フランシス、リック・ネルソンやヘンリー・マンシーニなどアメリカンポップスとパーシー・フェイス「夏の日の恋」など映画音楽だった。アマチュア時代のダウンタウンズでのレパートリーはビートルズ、ローリング・ストーンズ、スペンサー・ディヴィス・グループ、サム&デイヴ、オーティス・レディング、サム・クック、ウィルソン・ピケットや後年、拓郎のレコーディングに参加したブッカー・T&ザ・MG'sなどだった。

ボブ・ディラン

楽曲や生き方を含めてボブ・ディランの影響を強く受けたことはよく知られる。拓郎は「ギター一本で自分の音楽を発表できることを知って人生変わった。ただし音楽スタイルやメロディが好きで、イデオロギーに憧れたのではない」と話している。

ディスコグラフィ

シングル

発売日 タイトル c/w 規格 規格品番 備考
エレックレコード
1st 1970年 6月 1日 イメージの詩 マークⅡ EP EB-1004
2nd 1971年 4月25日 青春の詩 とっぽい男のバラード EP EB-1004
CBSソニー
3rd 1971年 7月21日 今日までそして明日から ともだち EP SONA 86-194
4th 1972年 1月21日 結婚しようよ ある雨の日の情景 EP SONA 86-212
1989年 3月21日 8cmCD 10EH-3259
5th 1972年 7月 1日 旅の宿 おやじの唄 EP SOLA 33-0D 拓郎のシングルで唯一のオリコン週間1位を獲得した曲
1989年 3月21日 夏休み 8cmCD 10EH-3260
6th 1972年12月21日 おきざりにした悲しみは 花酔曲 EP SOLA 68-0D
7th 1973年 6月21日 伽草子 こんなに抱きしめても EP SOLB 39-0D
8th 1973年12月 5日 金曜日の朝 子供に EP SOLB 92-00
9th 1974年 7月 1日 シンシア 竜飛崎 EP SOLB 156-OD 歌:よしだたくろう&かまやつひろし
フォーライフ・レコード
10th 1975年 9月 25日 となりの町のお嬢さん 流れる EP FLS-2
1990年 6月21日 8cmCD FLDF-08108
11th 1976年 3月25日 明日に向って走れ ひとり想えば EP FLS-6
1990年 6月21日 8cmCD FLDF-08109
12th 1976年12月 5日 たえこMY LOVE チークを踊ろう EP FLS-12
1990年 6月21日 8cmCD FLDF-08110
13th 1977年 7月25日 もうすぐ帰るよ Voice EP FLS-1005
1990年 6月21日 8cmCD FLDF-08111
14th 1977年12月10日 カンパリソーダとフライドポテト あの娘に逢えたら EP FLS-1016
15th 1978年 6月10日 舞姫 隠恋慕 EP FLS-1026
1990年 6月21日 8cmCD FLDF-08112
16th 1979年 5月 5日 流星 アイランド EP FLS-1045
1990年 6月21日 8cmCD FLDF-08113
17th 1979年10月 5日 春を待つ手紙 外は白い雪の夜 EP FLS-1057
1990年 6月21日 8cmCD FLDF-08114
18th 1980年 5月 5日 あの娘といい気分 あいつ EP FLS-1073
1990年 6月21日 8cmCD FLDF-08115
19th 1980年 8月21日 いつか夜の雨が 愛の絆を EP FLS-1079
20th 1980年11月 5日 元気です 証明 EP 7K-4
1990年 6月21日 8cmCD FLDF-08116
21st 1981年 4月 5日 サマーピープル 二十才のワルツ EP 7K-17
1990年 6月21日 8cmCD FLDF-08117
22nd 1981年 9月 5日 サマータイムブルースが聴こえる Y EP 7K-37
23rd 1982年 3月21日 唇をかみしめて - EP 4K-1 片面のみのシングル
1988年 5月21日 ジャスト・ア・RONIN CD 10KD-19 c/wに「ジャスト・ア・RONIN」(吉田拓郎・加藤和彦)収録。
24th 1983年 5月21日 あいつの部屋には男がいる SORA EP 7K-96
1990年 6月21日 8cmCD FLDF-08118
25th 1983年11月 5日 I'm In Love まあまあ EP 7K-125
1990年 6月21日 8cmCD FLDF-08119
26th 1984年10月21日 旧友再会フォーエバーヤング ペニーレインへは行かない EP 7K-150
27th 1985年 4月21日 ふざけんなよ 夏が見えれば EP 7K-177
28th 1985年 9月21日 風をみたか 夏休み EP 7K-193
1990年 6月21日 8cmCD FLDF-08120
29th 1985年12月 5日 ジャスト・ア・RONIN RONIN EP 7K-206 歌:吉田拓郎・加藤和彦(「ジャスト・ア・RONIN」)
30th 1988年 3月21日 すなおになれば いくつもの夜が EP 7K-289
8cmCD 10KD-4
CBSソニー
31st 1989年 3月21日 夏休み シンシア 8cmCD 10EH-3260
フォーライフ・レコード
32nd 1989年 9月13日 落陽 祭りのあと 8cmCD FLT-5
33rd 1990年 2月21日 俺を許してくれ 憂鬱な夜の殺し方 8cmCD FLDF-09014
34th 1990年 7月 4日 男達の詩 - 8cmCD FLDF-06105 FOR LIFE MUSIC ENTERTAINMENT,INC.]</ref>
35th 1991年 8月 7日 友あり たえなる時に 8cmCD FLDF-09147
36th 1992年 4月15日 吉田町の唄 夏・二人で 8cmCD FLDF-10207
Sony Records
37th 1993年10月 1日 たどり着いたらいつも雨降り 旅の宿 8cmCD SRDL-3728
襟裳岬
東芝EMI
38th 1993年12月22日 純情 5月の風 8cmCD TODT-3161 歌:吉田拓郎&加藤和彦(「純情」)
加藤和彦(「5月の風」)
フォーライフ・レコード
39th 1994年 4月28日 恩師よ/まだ見ぬ朝 - 8cmCD FLDF-10276
40th 1994年 6月17日 決断の時 決断の時 (オリジナルカラオケ) 8cmCD FLDF-1516
41st 1994年10月21日 マスターの独り言 マスターの独り言 (Instrumental) 8cmCD FLDF-1528
42nd 1995年 6月21日 君のスピードで/とんと御無沙汰 8cmCD FLDF-1564
43rd 1996年 8月21日 遥かなる 今日までそして明日から 8cmCD FLDF-1603
44th 1999年 5月26日 心の破片(かけら) 僕達のラプソディ 8cmCD FLDF-1689
Sony Records
45th 1999年 6月19日 蒼い夏 今日までそして明日から CD SRCL-4531
夏休み
フォーライフ・レコード
46th 1999年12月 1日 気持ちだよ 気持ちだよ(film version) 8cmCD FLDF-1703
インペリアルレコード
47th 2000年 6月21日 トワイライト Os san 8cmCD TEDI-1
48th 2001年 3月28日 いくつになっても happy birthday 朝陽がサン CD TECI-17
49th 2002年 3月 6日 家へ帰ろう/襟裳岬 - CD TECI-31
50th 2003年11月21日 純/流星2003/ホームラン・ブギ2003 - CD TECI-55

配信シングル

発売日 タイトル 備考
avex trax
1st 2011年 6月 8日 That's it やったね
2nd 慕情

非売品

タイトル c/w タイアップ 備考
1971年
サヨナラ僕は気まぐれ 青春の終わり SEIKO 歌:ピピ&コット(「青春の終わり」)
三越創業300年記念(1972年)
僕の旅は小さな叫び ひとの中に 松下電器産業 テクニクスステレオ 歌:小坂忠
BRIGADE ANTI-GANGS 作曲:M.MAGNE
THE VALACHI PAPER 作曲:R.ORTOLANA
1972年
Have A Nice Day Have A Nice Day (気ままに写そう編) フジカラー
僕らの旅 - 富士重工業 共鳴レックス

ラジオ

ラジオ[編集]

  • パックインミュージック(TBSラジオ、1972年4月 - 9月)
  • たくろうの気ままな世界(TBSラジオ、1972年10月 - 1973年5月)
  • バイタリス・フォークビレッジ(ニッポン放送、1972年)
  • 吉田拓郎のオールナイトニッポン(ニッポン放送、1974年4月 - 1975年12月、1980年10月 - 1982年3月)
  • セイ!ヤング(文化放送、1978年4月 - 1980年3月)
  • ヤングタウンTOKYO・サタデーナイトカーニバル(TBSラジオ、1980年4月 - 1981年10月)
  • フォーエバー・ヤング(TOKYO FM、1985年1月 - 1988年2月)
  • 吉田拓郎 CLUB25→吉田拓郎 CLUB26→吉田拓郎 CLUB26プラスワン(TOKYO FM、1995年1月 - 1996年12月)
  • 吉田拓郎のオールナイトニッポンDX(ニッポン放送、1997年10月 - 1998年3月)
  • 吉田拓郎 それイケ!(ニッポン放送、1998年4月 - 1999年3月)
  • 吉田拓郎のSuper Music Stadium(ニッポン放送、2000年10月 - 2001年3月)
  • 吉田拓郎とアスリートな彼女たち(ニッポン放送、2001年10月 - 2002年3月)
  • セイ!ヤング21(文化放送、2002年10月 - 2003年3月)
  • 吉田拓郎 わがままベスト10(ニッポン放送、2003年10月 - 2004年3月)
  • 俺たちのオールナイトニッポン40時間スペシャル(ニッポン放送、2008年2月24日)
  • 吉田拓郎 残暑お見舞い申し上げます(ニッポン放送、2008年8月)
  • 坂崎幸之助と吉田拓郎のオールナイトニッポンGOLD(ニッポン放送、2009年12月 - 2013年9月)
  • 元気です!吉田拓郎(ニッポン放送、2010年10月 - 2012年3月)


出典

Wikipedia「吉田拓郎」

脚注・外部リンク

最終更新: 2019年3月25日 (月) 19:53
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