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簡単に言うと紫色の果実
 
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実が多い
 
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Wikiduccaは終了しました。今後はゴールドペディアをご利用ください。<nowiki>Wikiduccaは終了しました。今後はゴールドペディアをご利用ください。<nowiki>Wikiduccaは終了しました。今後はゴールドペディアをご利用ください。==簡単== 簡単に言うと紫色の果実 実が多い ==詳しくは== [[葉]]は両側に切れ込みのある15 - 20cmほどの大きさで、穂状の[[花]]をつける。野生種は雌雄異株であるが、栽培ブドウは一つの花に[[おしべ]]と[[めしべ]]があり、自家受粉する。このため自家結実性があり、他の木がなくとも一本で実をつける。果実は緑または濃紫で、内部は淡緑であり、房状に生る。食用部分は主に熟した果実である。食用となる部分は子房が肥大化した部分であり、いわゆる真果である。外果皮が果皮となり、中果皮と内果皮は果肉となる。果実のタイプとしては漿果に属する。大きさは2 - 8cm程度の物が一般的である。ブドウの果実は枝に近い部分から熟していくため、房の上の部分ほど甘みが強くなり、房の下端部分は熟すのが最も遅いため甘味も弱くなる。皮の紫色は主に[[アントシアニン]]によるものである。甘味成分としては[[ブドウ糖]]と[[果糖]]がほぼ等量含まれている。また、酸味成分として[[酒石酸]]と[[リンゴ酸]]が、これもほぼ等量含まれる。 ブドウ属の植物は数十種あり、北米、東アジアに多く、インド、中東、南アフリカにも自生種がある。日本の山野に分布する、[[ヤマブドウ]]、[[エビヅル]]、[[サンカクヅル]](ギョウジャノミズ)もブドウ属の植物である。 現在、[[ワイン]]用、[[干しぶどう]]用または生食用に栽培されているブドウは、[[ペルシア]]や[[カフカス]]が原産の[[ヨーロッパブドウ|ヴィニフェラ種]] (''V. vinifera'') と、[[北アメリカ]]原産の[[ラブルスカ種]] (''V. labrusca'')で ある。 [[米]]に[[うるち米]](食用)・[[酒米]](酒造用)があるように、ブドウにも食用ブドウと酒造用ブドウがあり、食用は{{仮リンク|テーブルグレープ|en|Table grape}}、酒造用はワイングレープ(wine grapes)と呼ばれている。 == 栽培法 == [[ファイル:Vineyards Vougeot.jpg|thumb|right|<center>仏[[ブルゴーニュ地域圏]]、クロ・ド・ヴジョーの葡萄園。垣根作りの農園である</center>]] ブドウは[[温帯]]の農作物で、平均気温が10度から20度程度の地域が栽培適地である。[[北半球]]では北緯30度から50度、[[南半球]]では南緯20度から40度の間に主要産地が存在する。最適の降水量は品種によって差があり、[[ヨーロッパブドウ]]は一般に乾燥を好み、アメリカブドウは湿潤にも強いが、種全体としてみれば年間降水量が500mmから1600mmあたりまでに主要産地が存在する。 ブドウは水はけがよく日当たりが良い土地を好む。ほかの果樹と同様、ブドウも[[種子]]から育てると質の良い[[果実]]ができにくく、また[[枝]]を土に挿すと容易に[[根]]を生やすため、古来から[[挿し木]]によって増やされてきた。しかし、19世紀後半に根に寄生する[[ブドウネアブラムシ]](フィロキセラ)によって大打撃を受けたため、以後は害虫予防のために[[台木]]を使用することが一般的となった。 木の仕立て方には、垣根のように垂直の木を直列に木を並べる方法と、棚を仕立ててブドウのつるを這わせる方法の二つが主要な方法となっている。ヨーロッパなどのブドウ園では垣根式が多いが、日本では棚式が主流となっている。 収穫期は品種によって差があるが、日本においては最も早いデラウェアが7月下旬から収穫が始められ、最も遅い品種は11月上旬まで収穫される。また、ハウス栽培の場合はこれよりも早くなる。 == 歴史 == {{main|ブドウ栽培}} ブドウの栽培化の歴史は古く、[[紀元前3000年]]ごろには原産地である[[コーカサス]]地方や[[カスピ海]]沿岸ですでにヨーロッパブドウの栽培が開始されていた。ワインの醸造は早くに始まり、[[メソポタミア文明]]や[[古代エジプト]]においてもワインは珍重されていた。[[メソポタミア]]では気候や土壌的にブドウの栽培が困難なため、消費されていたワインの多くは輸入されたものであった<ref>『ケンブリッジ世界の食物史大百科事典3 飲料・栄養素』 小林彰夫監訳 朝倉書店  2005年9月10日 初版第1刷 p.107</ref>。[[古代ギリシア]]ではワインのためのブドウ栽培が大々的に行われ、ギリシア人が植民した地域でもブドウ園が各地に開設されるようになった。ギリシアを支配した[[ローマ帝国]]の時代にはワインは帝国中に広まり、そのためのブドウ栽培も帝国各地で行われるようになった。ローマ人は特に[[ガリア]]や[[ラインラント]]にブドウを導入し、現在でもこの地域はブドウの主要生産地域となっている。ローマ帝国崩壊後の政治の混乱によってブドウ栽培は衰退していったが、各地の[[修道院]]などによって少量ながら生産が維持され続け、やがて政情が安定するとともに再び栽培が盛んとなっていった。[[11世紀]]から[[13世紀]]にかけては気候が温暖となり、[[イングランド]]のような北方の国家においてもブドウの栽培が盛んとなり、現[[ベルギー]]の[[ルーヴァン]]などでも輸出用のワインを作るためのブドウ栽培なども行われていた。しかし14世紀ごろから気候が寒冷化した上に輸送費が下落して、ブドウの栽培地域はしだいに南方へと限られるようになっていった<ref>「中世ヨーロッパ 食の生活史」p44 ブリュノ・ロリウー著 吉田春美訳 原書房 2003年10月4日第1刷</ref>。 一方、原産地から東へと伝播したものは、[[紀元前2世紀]]には中国に到達した。 [[大航海時代]]がはじまり、各地に[[ヨーロッパ人]]が植民するようになると、移民たちは故郷の味を求め、ワインを製造するために入植先にブドウを植えていった。[[南アフリカ共和国]]の[[ケープ州]]や[[チリ]]など、この時期に持ち込まれたブドウ栽培が成功してワインの名産地となった地域も多い。[[北アメリカ大陸]]にもヨーロッパブドウが持ち込まれたが、ここでの栽培は当初あまり成功しなかった。これは、ブドウのもう一つの主要系統であるアメリカブドウに属する野生種が北アメリカ大陸東部には多数あり、ブドウネアブラムシ(後述)などのアメリカブドウの病害が免疫のないヨーロッパブドウに大被害を与えたためである。[[インディアン]]はアメリカブドウを盛んに利用しており、やがてヨーロッパ系の植民者たちも野生種の中から有望な種を選抜して栽培種化していった。しかし、アメリカブドウには独特の香りがあり、ワインにするには不向きであったため、アメリカブドウは主に[[ジュース]]用として発展していった。 アメリカでワインを生産するため、ヨーロッパブドウをアメリカで育てるために様々な試みがおこなわれた。病害に強いアメリカブドウとヨーロッパブドウを掛け合わせた雑種を作るやり方も盛んに行われたが、ワイン用としては一部を除いてヨーロッパブドウを越えることができず、次第にすたれた。一方で生食用品種では巨峰やピオーネなど有望品種がいくつも生まれている。それに代わる方法として、病害に耐性を持つアメリカブドウを台木としてヨーロッパブドウを接ぎ木する方法が19世紀後半に開発され、これが主流となった。 北アメリカ原産のブドウはブドウネアブラムシに対する耐性を持つが、[[1870年]]頃に北アメリカの野生ブドウの苗木がヨーロッパにもたらされ、この根に寄生していたブドウネアブラムシによって、耐性のないヨーロッパの固有種の殆どが19世紀後半に壊滅的な打撃を受けた<ref>[[#中川 (2002)|中川 (2002)]]、pp.179-180.</ref>。以後ブドウネアブラムシ等による害を防止するの理由で、ヨーロッパブドウについては、アメリカ種およびそれを起源とする雑種の台木への[[接ぎ木]]が行われている<ref>[[#中川 (2002)|中川 (2002)]]、p.183</ref>。 [[ファイル:Katsunuma vineyard 02.jpg|250px|thumb|甲州の実([[勝沼町]])]] [[日本]]で古くから栽培されている甲州種は、[[中国]]から輸入された東アジア系[[ヨーロッパブドウ]]が自生化したものが、[[鎌倉時代]]初期に[[甲斐国]]勝沼(現在の[[山梨県]][[甲州市]])で栽培が始められ、[[明治|明治時代]]以前は専ら同地近辺のみの特産品として扱われてきた<ref>[[#中川 (2002)|中川 (2002)]]、p.131</ref>([[ヤマブドウ]]は古くから日本に自生していたが別種である)。[[文治]]2年([[1186年]])に[[甲斐国]][[八代郡]]上岩崎村の[[雨宮勘解由]]によって発見され、栽培がはじまったとされる。甲州の栽培は徐々に拡大し、[[正和]]5年([[1316年]])には岩崎に15町歩、勝沼に5町歩の農園ができていた<ref> 「飲食事典」本山荻舟 平凡社 p536 昭和33年12月25日発行</ref>。[[江戸時代]]に入ると[[甲府盆地]]、特に[[勝沼町]]が中心となり、甲州名産の一つに数えられるようになった。[[松尾芭蕉]]が「勝沼や [[駄賃馬稼|馬子]]も葡萄を食ひながら」との句を詠んだのもこのころのことである。[[正徳 (日本)|正徳]]6年([[1715年]])の栽培面積は約20haに上った。その後、[[関西]]や[[山形]]でも栽培がおこなわれるようになり、江戸時代末期には全国で約300haにまで栽培面積は拡大していた<ref>「果物・野菜散歩」pp28-29 金沢大学大学教育開放センター 平成9年8月1日</ref>。日本にあった在来の品種は甲州だけではなく、甲府盆地で栽培された甲州三尺や、[[京都]]周辺で栽培されていた聚楽といった品種も存在していたが、聚楽はすでに消滅し、甲州三尺の栽培も少なくなってきている。 その後、[[明治時代]]に入ると欧米から新品種が次々と導入されるようになった。当初はワイン製造を目的としてヨーロッパブドウの導入が主に行われたが、乾燥を好むものの多いヨーロッパブドウのほとんどは日本での栽培に失敗した。例えば、[[1880年]](明治13年)に兵庫県加古郡印南新村(現 [[稲美町]])にて国営播州葡萄園が開園したが、わずか6年後に閉園に追い込まれた<ref>播州葡萄園120年 稲美町教育委員会 2000</ref>。一方アメリカブドウの多くは日本の気候に合い定着したものの、ワイン用としてはにおいがきつく好まれなかったため、生食用果実の栽培に主眼が置かれるようになっていった。とくに普及したのはデラウェアとキャンベル・アーリーであり、戦前はこの2品種が主要品種となっていた。昭和10年には8000ha近くまで栽培面積が拡大したものの、[[第二次世界大戦]]によって一時急減した。昭和21年には生産量が戦前の半分にまで減少したが、昭和30年には戦前の水準に回復した。