「小田和正」の版間の差分

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|名前        = 小田 和正
 
|名前        = 小田 和正

2019年1月1日 (火) 13:28時点における版

Wikiduccaは終了しました。今後はゴールドペディアをご利用ください。<nowiki>Wikiduccaは終了しました。今後はゴールドペディアをご利用ください。<nowiki>Wikiduccaは終了しました。今後はゴールドペディアをご利用ください。<nowiki>Wikiduccaは終了しました。今後はゴールドペディアをご利用ください。<nowiki>Wikiduccaは終了しました。今後はゴールドペディアをご利用ください。 {{Infobox Musician |名前 = 小田 和正 |画像 = |画像説明 = |画像サイズ = <!-- サイズが幅250ピクセルに満たない場合のみ記入 --> |画像補正 = <!-- 画像の横幅が広く、高さが小さい場合に“yes”を記入 --> |背景色 = singer |出生名 = <!-- 個人のみ -->小田 和正 |別名 = |出生 = 1947年9月20日 |出身地 = 🇯🇵神奈川県横浜市金沢区 |死没 = <!-- 個人のみ --><!-- {{死亡年月日と没年齢|XXXX|XX|XX|YYYY|YY|YY}} --> |学歴 = <!-- 個人のみ -->聖光学院中学校・高等学校卒業<br />[[東北大学]]工学部建築学科卒業<br />[[早稲田大学]]大学院理工学研究科修了 |ジャンル = [[J-POP]]<br />[[AOR]]<br />[[ニューミュージック]] |職業 = <!-- 個人のみ -->[[音楽家|シンガーソングライター]]<br />'''音楽プロデューサー''' |担当楽器 = <!-- 個人のみ -->ボーカル<br />キーボード<br />ギター |活動期間 = 1970年- |レーベル = ファンハウス<br />(1986年- 1999年])<br />BMG JAPAN(BMGファンハウス)<br />(1999年 - 2009年)<br/>アリオラジャパン/Little Tokyo<br />(2009年 - ) |事務所 = '''ファー・イースト・クラブ''' |共同作業者 = オフコース<br />鈴木雅之<br/>[[松任谷由実]]<br />財津和夫<br />USED TO BE A CHILD<br />PLUS ONE<br />スターダストレビュー(オダ☆レビ)<br />[[ゆず (音楽グループ)|ゆず]]([[ゆずおだ]])<br />スキマスイッチ<br/>水野良樹<br />など |公式サイト = [http://www.fareastcafe.co.jp/index.html 小田和正公式サイト] |メンバー = <!-- グループのみ --> |旧メンバー = <!-- グループのみ --> |著名使用楽器 = }} '''小田 和正'''(おだ かずまさ、1947年9月20日 - )は、日本の[https://ja.m.wikipedia.org/wiki/ニューミュージック ニューミュージックシンガー]、[[音楽家|シンガーソングライター]]、[https://ja.m.wikipedia.org/wiki/音楽プロデューサー 音楽プロデューサー]。元'''[https://ja.m.wikipedia.org/wiki/オフコース オフコース]'''のリーダーでボーカル。株式会社'''ファー・イースト・クラブ '''('''FAR EAST CLUB INC.''') [[代表取締役|代表取締役社長]]。身長172cm。血液型はA型。[https://ja.m.wikipedia.org/wiki/神奈川県 神奈川県]出身。1969年にバンド結成('''オフコース''')。[[ファイル:BF97DA6A-356F-4E05-A086-37D82C59E4D2.jpeg|400px|right]] ==ジャンル・担当== [[J-POP]]、AOR、ニューミュージック。 担当は、ボーカル、キーボード、ギター。 ==来歴== 1947年、神奈川県横浜市出身。金沢文庫すずらん通り商店街にある'''小田薬局'''で次男として誕生。幼少時代は横須賀中央のバイオリン教室に通う。関東学院六浦小学校、横浜市立八景小学校を経て、1960年、[https://ja.m.wikipedia.org/wiki/聖光学院中学校・高等学校 聖光学院中学校・高等学校]に進学。同学院卒業後、[[東北大学]]に進学、建築学を専攻。同大学卒業後、[[早稲田大学]]大学院理工学研究科修士課程修了。 ==オフコースの結成== 聖光学院では中学校・高等学校を通じて同級生だった、[https://ja.m.wikipedia.org/wiki/鈴木康博 鈴木康博]は、[[東京工業大学]]に進学。仙台と横浜をお互いに頻繁に行き来し、音楽活動も続けていた。<br/>1969年、アマチュア音楽活動にけじめをつけるために「'''ヤマハ・ライト・ミュージック・コンテスト'''」に東北地区より出場。小田曰く「寝ててもできるくらい」猛練習を重ね、自信をもって臨んだにもかかわらず、1位は'''赤い鳥'''、オフコースは2位だった。 2位になったことで「このまま終われない」とプロの道を歩むことを選ぶ。 [[ファイル:1516E720-EBC5-43FD-A914-2AD3CF59B209.jpeg|380px|right]] オフコースは数度のメンバー変遷を経て1972年より小田、鈴木の2人構成、後に'''清水仁、大間ジロー、松尾一彦'''を加えた5人構成となる。1970年代から1980年代にかけて次々とヒット曲を生み出し、時代を代表する人気グループに成長。 ==伝説の日本武道館連続10日間公演== 1982年、6月15日、'''日本武道館連続10日間公演実施'''(6月30日まで)。その後約3年間、ライブ活動を休止。 ; 小田和正のハイトーンボイス オフコースが発表したシングルのA面のほとんどは小田の曲であり、そのシンプルで、ストレートに愛を歌う歌詞とハイトーンの澄んだボーカルはオフコースの大きな特色となる。オフコース時代のヒット曲には「'''さよなら'''」「'''Yes-No'''」「'''君が、嘘を、ついた'''」などがある。 ==解散後のソロ活動スタート== 1986年に初めてのソロシングル「'''1985'''」、初のソロアルバム『'''K.ODA'''』発表。オフコース時代からソロ活動を始めてはいたが、1989年のオフコース解散以後にソロ活動を本格化。 ==テレビ番組出演== 1984年2月14日、 フジテレビ系『[https://ja.m.wikipedia.org/wiki/森田一義アワー_笑っていいとも! 笑っていいとも!]』の「テレフォンショッキング」に'''[https://ja.m.wikipedia.org/wiki/明石家さんま 明石家さんま]'''からの紹介で小田和正が出演、翌15日のお友達に'''[https://ja.m.wikipedia.org/wiki/星野仙一 星野仙一]'''を紹介した([https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%AA%E3%83%95%E3%82%B3%E3%83%BC%E3%82%B9 オフコース])。 ==ディスコグラフィ== *[https://ja.m.wikipedia.org/wiki/小田和正の作品一覧 小田和正の作品一覧]参照。 ==他アーティストとの活動== ソロになった1989年以降、他のアーティストとの交流が急速に活発化。 ソングライターとして'''鈴木雅之、中村雅俊、島倉千代子'''や'''松たか子'''らの楽曲を全面的にプロデュースする他、'''ASKA'''や'''佐藤竹善、スキマスイッチ'''らとコラボレーションした。<br/> また、チャリティのためのUSED TO BE A CHILD主催、'''泉谷しげる'''らとのチャリティライブ、'''スターダストレビュー、CHAGE and ASKA'''らとのジョイントライブや音楽イベントに積極的に参加するようになった。 小田自身のソロライブでも、コーラスに'''安部恭弘、佐藤竹善、山本潤子、加藤いづみ'''らを起用している。 ==番組『クリスマスの約束』== 2001年の放送開始以来、深夜帯にもかかわらず常に高視聴率をマークし、年の放送が、2003年に12月期[https://ja.m.wikipedia.org/wiki/ギャラクシー賞 月間ギャラクシー賞]、2009年放送が、第36回[https://www.hbf.or.jp/awards/ 放送文化基金賞]優秀賞を受賞。 。'''放送業界屈指の音楽特番'''と評価されている([https://www.hmv.co.jp/newsdetail/article/1711151024/ 小田和正「クリスマスの約束2017」古希を祝い あの名曲も披露 2017年12月25日付])。 [[ファイル:A74B5A90-AE53-483C-B340-F883E6A005E5.jpeg|350px|thumb|right|『クリスマスの約束』]] ==受賞== ; 1981年 *『'''We are'''』が第23回日本レコード大賞 ベスト・アルバム賞受賞(オフコース時代) ; 1991年 *第33回 日本レコード大賞  ポップス・ロック部門 ゴールド・ディスク賞受賞 「'''ラブストーリーは突然に/Oh!Yeah!'''」 ; 2003年 *第17回 日本ゴールドディスク大賞  ロック&ポップアルバム・オブ・ザ・イヤー 邦楽部門受賞「'''自己ベスト'''」 ; 2006年 *第20回 日本ゴールドディスク大賞  ロック&ポップアルバム・オブ・ザ・イヤー邦楽部門受賞「'''そうかな'''」 ; 2007年 *母校の東北大学の創立百周年記念にて「文化功労賞」受賞 ; 2009年 *「'''''ツアー2008 今日もどこかで'''''」で文化庁第59回芸術選奨文部科学大臣賞受賞 ; 2016年 *「神奈川文化賞」受賞([https://search.yahoo.co.jp/amp/s/www.townnews.co.jp/0110/amp/2016/10/27/354595.html%3Fusqp%3Dmq331AQGCAEoAVgB タウンニュース 2016年10月27日号])。 ; 2018年 *第97回ザテレビジョンドラマアカデミー賞 ドラマソング賞 受賞「'''この道を'''」TBS系「ブラックペアン」主題歌 ==CM出演== 本人 *「ネスカフェ ゴールドブレンド」 **「'''goodtimes & badtimes'''」(1988年)、「'''Little Tokyo'''」(1989年) [[ファイル:6C0E1F76-D716-4406-8182-74C73A458222.jpeg|320px|right]] *「第一生命」 *「'''君にMerry Xmas'''」(1989年 クリスマス2日間限定)、「'''Oh! Yeah!'''」(1991年)、「'''my home town'''」(1992年) *アルバム『'''Oh! Yeah!'''』(1991年) **「Oh! Yeah!」 *アルバム『'''自己ベスト'''』(2002年) *アルバム『'''そうかな'''』(2005年) *トヨタアリオン(2005年) **「'''Re'''」 *シングル「'''こころ'''」(2007年) *アルバム『'''自己ベスト-2'''』(2007年) *明治プロビオヨーグルトLG21「希望の歌声」編(2009年) **「'''今日も どこかで'''」 ==タイアップ== ; 1991年 *「'''ラブ・ストーリーは突然に'''」フジテレビ月9ドラマ『東京ラブストーリー』の主題歌 ; 1986年 *第一生命シリーズ **野球編・ラグビー編 - 「'''哀しみを、そのまま'''」(1986年) ※野球編は小田、ラグビー編は市川崑がそれぞれ演出。 **卒業編 - 「'''僕の贈りもの'''」(1988年) **仲直り編・床屋編 - 「'''恋は大騒ぎ'''」(1990年) ※仲直り編は小田の企画、演出。床屋編では自身も出演。 **いつか どこかで(1991年) ※映画『'''いつか どこかで'''』の撮影風景を使用 *三菱自動車工業 ミラージュ「'''風と君を待つだけ'''」(1991年)「'''だからブルーにならないで'''」(1993年) *シャープ 液晶ビューカム「'''風の坂道'''」(1993年) *味の素 ほんだし「'''またたく星に願いを'''」(1993年) *日産自動車 エルグランド「'''風のように'''」(1997年)、「'''こんな日だったね'''」(1999年) *JRA ブランドCM「'''woh woh'''」(2000年・2011年)、「'''19の頃'''」(2000年・2012年)、「'''風の街'''」(2001年)、「'''かなた'''」(2013年) *明治生命 / 明治安田生命「'''言葉にできない'''」(2000年 - 2003年 *一時期、小田のライブ映像を使用)、「'''たしかなこと'''」(2004年)、オリジナル曲(2010年)、「'''愛になる'''」(2014年) *ハウス食品 北海道シチュー「'''大好きな君に'''」)2003年)、 *日本コカ・コーラ 緑茶「一(はじめ)」オリジナル曲(2006年3月 - 6月) *名古屋鉄道「'''大好きな君に'''」(2006年)、「'''風の坂道'''」(2008年)、「'''Re'''」(2013年)、「'''この街'''」(2014年~) *マックスファクター「'''若葉のひと'''」(2009年3月) *ソニーBRAVIA 4K「'''今のこと'''」(2013年6月) *SUBARU「'''wonderful life'''」(2015年5月 - ) *NTT東日本 オリジナル曲(2017年3月 - ) ==映画主題歌== ; 1992年 *「'''そのままの君が好き'''」映画「走れメロス」主題歌 ; 2011年 *「'''hello hello'''」映画「ロック わんこの島」主題歌 ; 2012年 *「'''生まれ来る子供たちのために'''」映画「グスコーブドリの伝記」主題歌 ; 2014年 *「'''その日が来るまで'''」映画「救いたい」主題歌 ; 2015年 *「'''彼方'''」映画「氷川丸ものがたり」主題歌<ref>[https://eiga.com/person/23006/movie/ 映画.com ]</ref> ; 2016年 *「'''風は止んだ'''」映画「64 ロクヨン」主題歌 ; 2018年 *「'''坂道を上って'''」映画「坂道のアポロン」主題歌([https://www.barks.jp/news/?id=1000152574 ](BARKS 「映画『坂道のアポロン』小田和正の主題歌に三木監督「歌の出だしでもう泣いていた」」2018年3月9日) ==出典・参考== *[https://ja.m.wikipedia.org/wiki/小田和正 小田和正] ==脚注・リンク== [[Category:日本のミュージシャン]] [[Category:日本のニューミュージックシンガー]] [[Category:日本レコード大賞]] [[Category:日本のシンガーソングライター]] [[Category:J-POP]] [[Category:日本のロック・ミュージシャン]] [[Category:日本の音楽プロデューサー]] [[Category:オフコース]] [[Category:早稲田大学出身の人物]] [[Category:東北大学出身の人物]] [[Category:聖光学院中学校・高等学校出身の人物]] [[Category:神奈川県出身の人物]] [[Category:1947年生]] [[Category:存命人物]] [[Category:日本の実業家]] [[Category:1969年に結成したバンド]] [[Category:芸術選奨文部科学大臣賞]] [[Category:日本ゴールドディスク大賞]] [[Category:ドラマアカデミー賞]] [[Category:東北大学文化功労賞]] [[Category:神奈川文化賞]]