「ナンバーガール」の版間の差分

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バンド名の由来は、もともと向井が宅録時代に名乗っていたユニット名が「ナンバーファイブ」('''ビートルズ'''の編集盤から命名)であり、その後バンドを一緒に組もうとした人達が以前やっていたバンド名が「カウガール」([https://ja.m.wikipedia.org/wiki/ニール・ヤング ニール・ヤング]の曲「Cowgirl In The Sand」から命名)であった為、これを合体させたものである。
 
バンド名の由来は、もともと向井が宅録時代に名乗っていたユニット名が「ナンバーファイブ」('''ビートルズ'''の編集盤から命名)であり、その後バンドを一緒に組もうとした人達が以前やっていたバンド名が「カウガール」([https://ja.m.wikipedia.org/wiki/ニール・ヤング ニール・ヤング]の曲「Cowgirl In The Sand」から命名)であった為、これを合体させたものである。
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[[ファイル:7D30BC7A-0B38-463D-A656-FAF8198EDD9F.jpeg|380px|right]]写真出典([https://rockinon.com/news/detail/126290 ナンバーガール、担当Dが語る“キワキワ”な『記録映像 LIVE 1999-2002』2015.06.24]
  
 
==音楽性==
 
==音楽性==

2019年2月18日 (月) 21:26時点における版

ナンバーガールNUMBER GIRL)は、日本のオルタナティヴ・ロックバンド。1995年に結成。2002年11月30日に解散。2019年2月15日に再結成を発表。福岡県出身。レーベルは、ユニバーサル ミュージック(2014年 - )。

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ジャンル

オルタナティヴ・ロックインディー・ロック、ポスト・パンク、ポスト・ハードコア

メンバー

向井秀徳(ボーカル・ギター)
田渕ひさ子(ギター)
中尾憲太郎(ベース)
アヒト・イナザワ(ドラムス)

来歴

1995年、バンドを結成するまで宅録を行っていた向井秀徳がバンドを組もうと決意し、当時ライブハウスで照明のアルバイトをしていた中尾憲太郎を誘う。その中尾がライブを観て是非組もうと思っていたのが田渕ひさ子であり、そのまま田渕も呼ばれることになる。その後、昔からアヒト・イナザワのドラムスタイルに惚れ込んでいた向井が、アヒトが参加していたバンドを脱退したことを聞き彼をさそい、メンバーが揃う。結成当初から地元福岡でチェルシーQなどのイベントを中心に精力的に活動しつつ、1996年『Atari Shock』や1997年『omoide in my head』など、自主制作カセットテープを作成及び販売する。1997年11月、羽生和仁主宰の福岡のレーベル、automatic kissから1stアルバム『SCHOOL GIRL BYE BYE』をリリース。SUPERCARやくるりなどと共に「'97の世代」と呼ばれた。
1998年に上京したナンバーガールは東京でも1年目から40本近いライブを行い、翌年にはアメリカ合衆国・テキサス州オースティンでのライブも成功させている。また、前述の『SCHOOL GIRL BYE BYE』を東芝EMIのプロデューサー子安氏が聴いたあと、automatic kissの羽生に電話でアプローチした事がきっかけとなり、ナンバーガールは東芝EMIと契約、1999年5月に、メジャーデビューシングル「透明少女」を発表し、1999年7月にはメジャー1stアルバムとなる『School Girl Distortional Addict』を発表する。その後ライジング・サン・ロック・フェスティバル参加や、bloodthirsty butchersとのツアーを経て、ナンバーガールライブシリーズ『Distortional Discharger』を遂行、その最終日のライブをそのまま収録したライブ・アルバム『シブヤROCKTRANSFORMED状態』をリリース。
メジャーデビュー後2枚目のシングル「DESTRUCTION BABY」から、デイヴ・フリッドマンをプロデューサーに起用、アメリカ合衆国ニューヨーク州フレドニアで行われた。通算3枚目のアルバムとなる『SAPPUKEI』もデイヴ・フリッドマンプロデュース。『SAPPUKEI』リリース後、ナンバーガールは『Number Girl Tour Sappukei』を遂行する。その後も、eastern youth主催の対バンライブ『極東最前線』やROCK IN JAPAN FESTIVAL参加、bloodthirsty butchersとのツアー『Harakiri Kocorono Tour』、ワンマンツアー『Inazawa chainsaw』など多数のライブを行っていく。精力的なライブ活動は2001年も続き、その間ライブ記録作品『騒やかな演奏』やライブ会場限定販売カセットテープ『記録シリーズ』をリリースする。
2001年の末頃、ナンバーガールはスタジオ盤としてはラスト・アルバムとなる『NUM-HEAVYMETALLIC』のレコーディングを開始する。デイヴ・フリッドマンを三度プロデューサーとして迎えたこのアルバムは、年をまたいでの2度にわたる渡米の末、完成をみた。 2002年4月、『NUM-HEAVYMETALLIC』をリリースしたナンバーガールは全国ツアーを行い、同年9月にオフィシャル・ウェブサイトにて突然の解散を発表する。解散の理由として「ベースの中尾がナンバーガールからの脱退を希望。メンバー及びスタッフで話した結果、中尾、田渕、イナザワ、向井の4人でナンバーガールである、という共通の意思が強かったから」という説明が発表されている。ナンバーガールは解散発表前に計画されていた全国6カ所のツアー『NUM-無常の旅』を行い、最終日、札幌PENNY LANEのライブをもって解散した。ラスト・ライブとなったこの演奏は、ライブ・アルバム『サッポロ OMOIDE IN MY HEAD 状態』に収録され、リリースされた。
尚、解散ツアーは、本来は通常のライブツアーとして行われる予定であったが、上記の事があり、ラストライブの会場は、たまたま小規模のライブハウスとなった。その為、ラストライブのチケットはインターネットオークションで高値で取引される事があった。
ナンバーガール解散後も、メンバーはそれぞれ音楽活動を続けている。
2019年2月15日、解散時のメンバーでバンドを再結成し、同年8月のRISING SUN ROCK FESTIVALにてライブ活動を行うことを発表。

名前の由来

バンド名の由来は、もともと向井が宅録時代に名乗っていたユニット名が「ナンバーファイブ」(ビートルズの編集盤から命名)であり、その後バンドを一緒に組もうとした人達が以前やっていたバンド名が「カウガール」(ニール・ヤングの曲「Cowgirl In The Sand」から命名)であった為、これを合体させたものである。

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写真出典(ナンバーガール、担当Dが語る“キワキワ”な『記録映像 LIVE 1999-2002』2015.06.24

音楽性

ピクシーズなどのオルタナティヴ・ロックの影響を受けたといわれる、いわゆるギターロックの系譜にあり、向井のヴォーカルもそうしたギターロック調のシャウティングが中心であった。1999年に発表されたシングル「DESTRUCTION BABY」あたりから、ダブ、レゲエ的な音響処理が用いられるようになる。また、ヴォーカルスタイルもコンピレーション盤『極東最前線』に収録された「TOKYO FREEZE」において向井独特のラップを披露していた。ラスト・アルバムとなった『NUM-HEAVYMETALLIC』においては、祭囃子的な和の要素を取り入れたサウンドを展開。

ディスコグラフィ

シングル

  発売日 タイトル 規格品番 収録曲 備考
1st 1998年8月20日 DRUNKEN HEARTED ATMK-09211 automatic kiss records
2nd 1999年5月26日 透明少女 TOCT-22009 メジャーデビューシングル。オリコン最高85位
3rd 1999年9月22日 DESTRUCTION BABY TOCT-22021 メジャー2ndシングル。オリコン最高50位
4th 2000年5月31日 URBAN GUITAR SAYONARA TOCT-22073 メジャー3rdシングル。オリコン最高33位
5th 2000年11月29日 鉄風 鋭くなって TOCT-22125 メジャー4thシングル。オリコン最高30位
6th 2002年3月20日 NUM-AMI-DABUTZ TOCT-22203 メジャー5th・最終シングル。オリコン最高26位
7th 2002年4月8日 I don't know CR-19C インディーズ。映画『害虫』サウンドトラック

アルバム

  発売日 タイトル 規格品番 収録曲 備考
1st 1997年11月6日 SCHOOL GIRL BYE BYE KOGA-060(再発) automatic kiss
K.O.G.A Records
2nd 1999年7月23日
2011年10月26日(再発)
2014年6月18日(15th Anniversary Edition)
2016年1月29日(LP)
SCHOOL GIRL DISTORTIONAL ADDICT TOCT-24157
TOCT-11310:再発
UPCY-6824:15th Anniversary Edition
JSLP-046:LP
メジャー1stフルアルバム。オリコン最高42位
オリコン最高50位(15th)
3rd 2000年7月19日
2014年6月18日(15th Anniversary Edition)
2016年1月29日(LP)
SAPPUKEI TOCT-24390
UPCY-6854:15th Anniversary Edition
JSLP-047:LP
メジャー2ndフルアルバム。オリコン最高24位
オリコン最高82位(15th)
4th 2002年4月26日
2014年6月18日(15th Anniversary Edition)
2016年1月29日(LP)
NUM-HEAVYMETALLIC TOCT-24764
UPCY-6856:15th Anniversary Edition
JSLP-048:LP
メジャー3rd・最終フルアルバム。オリコン最高15位
オリコン最高91位(15th)

ライブ・アルバム

  発売日 タイトル 規格品番 収録曲 備考
1st 1999年12月16日
2013年3月27日(SHM-CD)
2015年7月29日(BD)
シブヤROCK TRANSFORMED状態 TOCT-24283
TOCT-95174:SHM-CD
UPXY-6032:BD
オリコン最高58位
オリコン最高253位(BD)
2nd 2003年1月29日
2015年7月29日(BD)
サッポロOMOIDE IN MY HEAD状態 TOCT-24920
TOCT-95175:SHM-CD
UPXY-6033:BD
オリコン最高20位
オリコン最高189位(BD)

ミュージックビデオ

監督 曲名
遠藤主任 「IGGY POP FAN CLUB (at 新宿 JAM)」「OMOIDE IN MY HEAD from「OMOIDE IN MY HEAD 1〜BEST & B-SIDES〜」」「透明少女 from DVD「OMOIDE IN MY HEAD 3 記録映像」」「はいから狂い from「OMOIDE IN MY HEAD 4〜レア音源集」」
新日本現代映画 (向井秀徳 + 遠藤雄二) 「NUM-AMI-DABUTZ」「TATTOOあり」「TRAMPOLINE GIRL「騒やかな演奏」より」「URBAN GUITAR SAYONARA]」「ZEGEN vs UNDERCOVER」「ZEGEN vs UNDERCOVER (【アヒト・イナザワ Ver.】)」「鉄風鋭くなって」「鉄風 鋭くなって (4分割バージョン)」
向井秀徳 「CIBICCOさん」
不明 「DESTRUCTION BABY」「DRUNKEN HEARTED」「I don't know」「IGGY POP FAN CLUB」「OMOIDE IN MY HEAD」「SAMURAI」「はいから狂い」「タッチ」「桜のダンス」「透明少女」「日常に生きる少女」

出典・参考

脚注・外部リンク