パティ・スミス

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Wikiduccaは終了しました。今後はゴールドペディアをご利用ください。パティ・スミス(Patricia Lee "Patti" Smith 1946年12月30日 - )は、アメリカ合衆国のミュージシャン・詩人である。 デビュー前から数年間は、バックバンドメンバーを含めた「'''パティ・スミス'''」という名称のバンド形態で活動している。一時期、'''パティ・スミス・グループ'''('''Patti Smith Group''')名義でも活動していた。 主に、ニューヨーク界隈のオリジナルパンクシーンで、現在まで活躍している。その功績から、クイーン・オブ・パンク(パンクの女王)もしくはゴッドマザー・オブ・パンク(パンクの大母)と呼ばれることもある。 2007年に、ロックの殿堂入りを果たした。 == 画像 == [[ファイル:Patti Smith.jpg]] == 動画 == <youtube width="200" height="200">JL2I1krvhIE|200|200</youtube> <youtube width="200" height="200">gcbuG2w0Kzo|200|200</youtube> == 来歴 == シカゴで生まれ、ニュージャージーで育った。ニューヨーク・パンクの代表的アーティスト。15才の頃ピスファクトリーで大学進学の費用を稼ぎながらアルチュール・ランボーやボブ・ディランを始めとするアーティストに強い憧れを抱き、当初はそうした人々の愛人となることを目指してニューヨークへ移住するが、ロバート・メイプルソープらとの交流によって、自身もアーティストの一員であることを自覚した。 1969年、ニューヨークに移住したスミスは詩を書いたり、演劇に出演したりするなどの芸術活動を始めた。その頃レニー・ケイと出会い、スミスが舞台で詩を朗読し、そのバックでケイが音楽を演奏するスタイルで活動をし始める。1973年頃から、リチャード・ソールがキーボード(ピアノ)として加わる。その後、周囲の評価が高まり、インディーズ・シングルを発売したり、オムニバス作品に参加するようになる。そして、ドラマーとしてジェイ・ディ・ドゥーティー、ベーシストとしてアイヴァン・クラールを迎え、5人組バンドとして本格的に活動を開始する。 パティ・スミス『ホーセス』1997年、BMGジャパン(付属の大鷹俊一によるライナーノーツより) 1975年に、29歳で発表したデビュー作『ホーセス』は、メイプルソープによるジャケット写真も話題となり、ロックの名盤として今日まで高い評価を受けている。特に、ヴァン・モリソンを己の詩情を交えてパンキッシュにカバーした「グロリア」は、パンククラシックの一つとして今日まで有名。1978年発表のサード・アルバム『イースター』からは、ブルース・スプリングスティーンと共作した「ビコーズ・ザ・ナイト」が、ビルボードのシングル・チャートで13位のヒットとなる。その後、元MC5のフレッド・スミスとの結婚生活のため長くアーティスト活動から離れていたが、1988年には9年ぶりのアルバム『ドリーム・オブ・ライフ』発表。1994年、夫のフレッドが死去。1990年代後半から再びコンスタントに作品を発表している。 2001年(2日目グリーン・ステージ)、2002年(1日目フィールド・オブ・ヘブン、2日目レッド・マーキー)と、2年連続でフジ・ロック・フェスティバルに出演。2003年7月には、赤坂BLITZなどで、単独公演による来日も果たした。 2007年には、初のカバー・アルバム『トゥウェルブ』発表。 2008年、写真家のスティーヴン・セブリングが、11年間パティに密着して撮影したドキュメンタリー映画『パティ・スミス:ドリーム・オブ・ライフ』が公開され、日本でも2009年に公開された。 2010年1月には、Just Kidsを上梓。メイプルソープと出会い、同居しながらそれぞれの創作活動を始めた時期を回想している。この回想記の執筆は、亡くなる直前のメイプルソープに頼まれて約束したことだったと話している == パティ・スミス・グループ == 1973年頃から、スミスが結婚のため一線を退く頃まで(作品としては『Wave』まで)活動。パティ・スミス名義でも活動していた。 * パティ・スミス - ヴォーカル * レニー・ケイ - リードギター * リチャード・ソール - キーボード(ピアノ) * ジェイ・ディ・ドゥーティー - ドラムス * アイヴァン・クラール - ギター兼ベース == 作品 == 以下、パティ・スミス・グループ名義のものも含む。 === オリジナル・アルバム === * ホーセス Horses (1975年) * ラジオ・エチオピア Radio Ethiopia (1976年) * イースター Easter (1978年) * ウェイヴ Wave (1979年) * ドリーム・オブ・ライフ Dream Of Life (1988年) * ゴーン・アゲイン Gone Again (1996年) * ピース・アンド・ノイズ Peace And Noise (1997年) * ガンホー Gung Ho (2000年) * トランピン Trampin' (2004年) === カバー・アルバム === * トゥウェルブ Twelve' (2007年) === 編集盤 === * ランド(1975-2002):グレイテスト・ヒッツ Land(1975-2002) (2002年) === 書籍 === * バベル Babel (1978年) 日本語版は山形浩生訳で思潮社から出版(1994年)。原詩も収録。ただし原著とは少し編集が異なる。 * Flowers - メイプルソープの花 (1990) * パティ・スミス完全版 Patti Smith Complete: Lyrics, Ref == 影響 == 当時、ロックスターは世相・反フェミニズムの反映からかほとんど男性ばかりであり、ロックはもとより、さらにルーズで過激なパンクに至っては当然ながら、女性は観客席・もしくはグルーピーの一員以上の扱いがされることはなかった。 そんな中で、ルーズな歌唱や男性・美青年風ルックスで一躍スターの一人となったパティの功績は大きい。また、元来のパンキッシュ精神に基づいた宗教批判・恋愛の不満について女性が声高に叫ぶなど、文学性やアナーキー性の高いリリックも注目を集めた。 1980年代以降、世界中で多くの女性ロックシンガーが誕生したが、パティはその大きな理由の一つといって差し支えはない。特にそのルーズな歌唱はパティ由来で語られることが多い。現在でもR.E.M.、ソニック・ユースを中心とした、さらにその後進に影響を与えている重要な後進グループから支持されている。 [[Category:ミュージシャン]][[Category:洋楽]]